2018年12月16日 (日)

Regattaでジャワ海に出征

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前から気になっていた高層マンション群があった。プルイットの沖に突き出た岬の先にあるレガッタというマンション群である。
レガッタというから帆船群を連想される写真である、ジャカルタに到着する時に必ず飛行機から見下ろして探していたがチャンスはなかった。今日それに出会ったのはMuara Baruと言う地域のSea Wallに穴が開き海水が陸に上がってきているニュースからであるが、そことは一つ湾を隔てたPantai Mutiaraと言う地区である。
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この名前はそれこそ80年代からあった気がするし一度そこに出かけ海を見るところまで行ったことがあるがその時はそこは1軒1軒ヨットを係留できる個人用ドックを持った別荘的マリーナ型高級住宅であったので恐れをなして戻った記憶があるが、その後拡大されてその先にこの岬が造成されたのであろうか。
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確かに色々なアップされた写真を見るとレガッタは海との間の海岸道路を辿って行くとたどり着くようだ。そして2015年頃はアホック副知事がこのMutiaraに住んでいたことや華人の若い人の間でデートスポットにでもなっていたようだ。何人もの人が将来の夢を語りそして実現させここに住んでいるのであろう。レガッタは11haもありマンション10棟にホテルやその他諸設備を完備したコンプレックスである。いつごろからかは知らないがここの開発は1980年代でRegatta Residencesの開発はDharmala IntilandとPT Global Ekabuanaである。
このようなものを表す日本語はないし英語でも表現に困る。 レガッタの愛称は世界でも有名なリゾート地などでこの名前を冠したVillaがあり、このマンションからジャワ海を見下ろすのはあのタイタニック号の舷先に立つシーンを思い浮かべる。

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2018年12月14日 (金)

ウブット絵画の恩人Bonnetとスカワティ侯

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Renatoで出て来たRudolf Bonnet はオランダの画家で1950年代バリ絵画の一時代を作った人である。生まれは1895年アムステルダムで生まれ、1920年イタリーを旅行し色々な風景画なども残したが先人の助言でバリにやって来たのは1929年である。バリでは独人芸術家Walter Spies や王家の筋のCokorda Gde Raka Sukawati(後東インド国大統領)と知り合いUbudに招かれSpiesが帰国後も彼の家を譲り受けた。日本が占領時はスラウエシのキャンプに収容されていたが1947年に又バリに戻ってきた。スカルノが良き支援者となり彼の14もの作品を購入した。しかし最後はスカルノの増長を見て、ポートレイト造りを拒否したため1957年追放された。
それまでは彼らは、1936年Sukawatiの力添えでPita Maha(偉大なひらめき)と言うグループを作り創作と販売活動をおこなった。1954年に Museum Puri LukisanをSukawatiと共に作ったがこれは彼の追放の為完成を見ず、やっと1972年になって再訪しオープニングにこぎつけた。彼は1978年オランダで病気を得て亡くなったが、葬儀後バリでも火葬が行われた。彼の絵画は筋肉質のバリの生活者などを描いており印象的だ。
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プリルキサン(絵画の王宮)美術館は今もバリの有数の観光訪問地ともなっており戦前から近代の、カマサン・スタイル、バトゥアン・スタイル、ウブド・スタイル等の技法で描かれた絵画や彫刻が展示されその緑の庭園とカフェの雰囲気の中で良き時代のバリの生活がしのばれそうだ。


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2018年12月12日 (水)

遷都Jonggolに踊る

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前回チプトラのTownshipを尋ねてチブブールの北のJonggol迄迫ったがこの都市の名前は大昔のスハルト時代に息子のバンバン氏がジャカルタ遷都構想で上げた地区名である。

ここはボゴールに属しJagorawi高速のCibuburから伸びて来た先のJonggol-Cileunsi通りを上って来たところにある。バンバンの打ち上げ話は記憶にあり、ついこの間まで記憶に明確を欠きタンゲランの方のJogloかなと思ってウロウロしたこともある。この構想は1997年であったが、チプトラのCitra Indahを始めたのも1997年であるので、触発されたのであろう。


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或いはそこに行く途中のHarvest CityなどもJonggolに近接していることが謳われているので多くの業者がうごいたのも事実だろう。 特にJonggol-Cileungsi 通り添いにあるMekarsari植物公園まわりはいい所だ。


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Harvest Cityは1,350haもあり、ブカシにも大手をかけた感じであるがGrup Suryamas Dutamakmurと Grup Duta Putra Mahkota 及びKalindolandの3社の開発業者の合弁がやっている。

只この先のSentulの方が発展しつつあるようだ。このJonggolはそうした高速やLRT交通線から20km近く離れているからである。

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2018年12月10日 (月)

Renatoのバリ追想絵画

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これもJP誌の古いスクラップ、インドネシアの画家Renato Cristianoのものである。インドネシアの画家と言ったが彼は1926年ローマ生まれとしか紹介がなくインドネシア国籍なのかどうかは解からない。1950年代にBeauxArtsボザール等で学び、サンスクリット語も学んでいる。アフリカ、中近東、インド、豪州、中南米、ポリネシア、スマトラ、ジャワと
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旅行をして最後はバリに来てオランダ人画家Rudolf Bonnetに師事したが、師匠が帰国後残された画廊美術館を任されていた。時はスカルノの時代でスカルノがバリに休息など逃れて来るたびに色々相談に乗ったりしていたが 愈々晩期には危険もあったものかローマに帰国した。帰国後バリの生活が脳から離れずバリを描き続けたようだ。

Renatoは平和なバリの人々の平和な生活など薄いシャーベットトーンで描いている。
ロープロファイルでネットでも紹介記事は少なく、南米のサッカーヒーローの記事だらけで影は薄い。JP誌の掲げた絵はこの切り抜きだけは見当たらず貴重品だと思う。

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2018年12月 7日 (金)

鰐園 いま昔

大昔、1980年代だったかジャカルタ北岸プルイットにワニTaman Buayaがあった。そこがいつの間にか大きなモールになって消えてしまったが、人に聞きながら移転先を何度も探し回ったことがある。タンゲランではないかとの意見もあり空港近辺を探したが、今考えると好きでもない鰐をなぜ探しまわったか不思議だ。そしてその若さも遠のいた今同時に二つのワニ公園を探し当てたのである。二つとも似た作りで 鰐用の沼地に只いると言うだけの感興の無さが感じられた。
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プルイットの時は小生も若く子供もつれて行ったが、鰐を高木の枝葉と香木の香り或いは煙などで睡眠術にでも掛けたような儀式も行なわれた。おなかの下の下肢の間の袋から仕舞っている器官を取り出したり、頭上にワニを掲げあげたりと、当時その後大分吹聴し廻ったことを思いだす。
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現在の場所は一つは確かに空港方面でそこから北東のNaga村迄行くTanjung Pasirにある。あと一つはチブブールのボゴール寄り、Jonggolで近くのPasar Randan Adventure公園にある。入口のワニ像も同じようなもので今どっちがどっちか確認するのも、行き方を詳述するのも気力がのらないのでTaman Buaya Indonesia Jayaで探してみるがいい。昔、探索に困難を極めたのは、小生がジャカルタのホームペイジjakarta.go.idを当てにしたこと、或いはGoogle Mapがまだなかった時代だったのである。 しかし又昨今はスンターの運河などにワニが現れたニュースがあり、或る政治家は、それは河川がきれいになった証左だとかとぼけたことを言っていた。どこも政治家は無責任だとおもったものだ。

今若い人たちはGTネットの充実で探索は簡単になった事だろう。
探索に40年を失った喪失感はあるが40年の執念の喜びも一入だ。 Googleさん、ありがとう

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2018年12月 6日 (木)

11月投資環境トピックス 経済は粛然・昂然、社会は傲然

、雑然と纏まらず 
11/7  六甲バター、MM2100でチーズ生産開始へ、三菱商事と合弁
11/8  永大産業、現法が開業、チカラン工場でシステムキッチンの組立・販売。
11/9  スカイエナジー、市原氏など太陽光発電システムで合弁会社設立へ。
11/12 日本工営などのコンソーシアムがパンティンバン港第1フェーズ契約。
11/22 住友金属鉱山、南東スラウェシでニッケル製錬所建設検討、17.7億ドル。
11/22 トコペディア、ソフトバンクら既存株主から10億ドルの追加出資へ。
11/25 日本農業、青森産りんご8品種のイ販売開始、小玉で日本からの経路
11/18 アンカサ・プラ、第2首都空港計画、100兆ルピアで2021年にも着工

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11/20 ガルーダ航空、ジャカルタ~名古屋直行便再開へ、来年3/23から、週4便。
11/28 ジャバベカ、家族向けアパート「カワナ2」販売開始。
11/28 グラブ、宅配サービス開始。
11/29 チャンドラ・アスリとミシュランの合弁、スチレンブタジエンゴム、投資$4億
11/1  2019年州最低賃金発表:首都Rp 3,940,973.-、8%
11/1  入管システムに接続した外国労働者TKAオンラインNotifikasiの制度へ
11/3  2020年に炭素税導入へ:化石燃料の利用量に応じた課税 環境税
11/9  年50社の上場は1992年以降で最多、上場企業数は約600社、時価6千兆Rp
11/11 アセアンと日中韓印豪NZが東アジア地域包括経済連携(RCEP)に向けた話し合い
11/15 BI 7-day Reverse Repo Rate 引き上げ5.75%→6.00%。
11/16 経済政策パッケージ第16弾:外資開放、タックスホリデー、輸出所得税軽減 ?
11/27 人材競争力ランキング、イは45位、トップはスイス、日本は29位。
11/28 スラゲン~ンガウィ高速道(51km)が開通、年内ジャカルタ~スラバヤ 接続?
11/28 不動産取引減税、保税地区許認可の簡素化など検討:財務省。
11/1  監視カメラによる交通違反取り締まり、スディルマン~タムリン通りで導入。
11/5  イスラムFPI代表がサウジで一時拘束、IS旗掲げていた疑い。
11/13 首都メイン通りの電子課金(ERP)来年中に導入計画と首都運輸局。
11/15 チカンペック高速奇数偶数規制、タンブン区間拡大。
11/17 政府系モスクの4割過激思想拡散、国立7大学でも過激思想と国家情報庁。
11/18 過去5年地震頻度増加、2013年は4,234回、今年は13年の倍
11/18 「性的マイノリティは不道徳」パダン市長が根絶宣言。宗教的な保守化が進行か
11/18 パチタンで海水浴中の邦人男性が水死。溺死か 74歳
11/24 首都の人工島3島で州営住宅や魚市場整備へ:州知事が計画変更
11/29 日本人女性宅アパート警備員の男逮捕、強姦未遂・暴力容疑で 


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2018年12月 5日 (水)

ボゴールとジャカルタをつなぐ街道、国道、一般道。。

サワンガンゴルフ場は足が遠くなったのは日本人が今は皆メンバーゴルフ場に行くようになってからである。ボゴール方面のJaogorawi高速やCibomi高速添いには立派なゴルフ場が多い。夕刻の帰りは都心に近づくほど渋滞がひどくなる。
一度試しに一般道を通ってジャカルタに帰ったことがあるが見物がてらとしてはいい。その時はチマンギスからチラチャスを通った気がする。ボゴールには宮殿があったのでJKTとのつながりはいい方だろう。今地図で調べるとJKTとBGR間は東はブカシ山地であり、西はタンゲラン・チサダネ大河平地との間でJKT-Bogorを結ぶ一般道路は主として3本となる。

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その代表がボゴール街道であり、次に地図上Bogor-Jakartaと書かれておりボゴール街道と取り違えそうな道路があった。ボゴール街道は国道かと思ったが此方のJl. Jkt-Bogorの方が国道で国道12号線となっている。

その南端はボゴールの外環高速のJl.Baruでそこからボゴールの北部を東にCibadakに向かうが、逆に北端はジャカルタのスマンギ辺りで全体の距離は48㎞と短い国道である。この道でSawanganゴルフ場の近くから北へ辿ると->Ciputatから->ポンドクインダーゴルフ場を越え->スナヤンゴルフを越えマンガラ・ワナバクティのパルメラー・チムール迄北上する。

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ボゴール街道Bogor Rayaはジャゴラウイの近くで並走の形である。こちらの南端は確かにボゴール宮殿に突き当たるが北のジャカルタはJl. D.Sartika若しくはSutoyoである。その間特にゴルフ場はないが南からめぼしい地名を挙げるとCibinong-Cisalak-Cimanggis-Pasar Rebo-Condetくらいであろうか。
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そしてその二つの南北線の間にいくつかのルートはあるが辿って行けるのはTol Desariを利用する路線で、南端は例えばボゴールのペタ博物館のある一般道路のPemuda通りから向かえる。そして北端はBlok-MのAntasariである。その間の主要なゴルフ場はパンカラン・ジャティとマトアがある。

あと主要な道路はジャカルタはパンチョラン・ディルガンタラの塔から逆に下るとPasar Minngu―Lenteng Agung-Situ Babakan-UI-Margonda-Citayamそして最後はDesariのBojongGedeに合流しボゴールのPumuda通りに出てくる道がある。
又ラグナン動物園にはMampangから下る方がよい。その先はMatoaに出ていずれDepokを越えBojonggedeで合流することになろう。


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2018年12月 4日 (火)

急成長の建設業のAcset

インドネシアの建設業は国営企業と外国建設業の草刈り場とばかり思っていたがいつのまにか多くの民間建設業者が上場を果たし、このブログでもそのいくつかを紹介してきた。そしてゼネコンの下で実際の工事施工を行う企業の一つがAcsetである。ある意味ではSub-Conではあるが高層建設や土木ではメインとなる。
AcsetはAstraの子会社の上場会社で、ジャカルタではある時期或いは現在も高層ビル建設のクレーンが林立しているが、その好況を背景に伸びて来た企業である。
Acset


手元の決算では2010年以降の売り上げと利益がきれいな右肩上がりの数字を示している。2016年で対比で言えば売上高が5倍の1.8兆、利益が3倍の683億、総資産7兆と育っている。元はシンガポールの青年の個人事業として起業した筈で最初は重機のレンタル会社であった。それだけではインドネシアの投資許可が取れにくいためハイテクを入れた事業企画にしたのが最初であったようだ。
Wikiではロニー氏が友人(?)と最初に会社を設立したのが1995年とある。
本社住所を尋ねるとJl.Majapahit 26 でこの短くて有名な通りは昔はハ-モニー会館の前の通りでこのような本社ビル(?)が建っているとは知らなかった。
現在はトランス・ジャワの高速道路建設に注力している。

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2018年12月 3日 (月)

サワンガンバルーは今

いつ頃からかジャカルタでの行動範囲が非常に小さくなりジャカルタは中心地(或いは南北線と東西線のみ)とジャカルタ東部工業団地の行き来程度、時に南部はボゴール市に飛ぶ程度になっていた。と言うよりゴルフ場が市内のゴルフ場ばかりで東部のゴルフ場も西部のゴルフ場にも出かけるのがなくなったと言う方が近い。 
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そして一番ご無沙汰したのがサワンガンゴルフ場で、ここは小生がインドネシアでの初めてプレーしたゴルフ場である。今やどこを通って行っていたかは詳細言えずポンドクチャベ飛行場(ゴルフ場)の横を通って下っっていったようだ。
サワンガンゴルフ場は昔サワンガンバルと言って、大人数のコンペなどよく利用したものだ。往復の距離と危険度から、その後は続々オープンするメンバーコースに移っていった。
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近くにサワンガンラマと言う9ホールのものもあったが、それこそ40年もご無沙汰した話で、それが今名前がTalaga Golfになったのだろうか。その辺に5メートルの大蛇が生け捕りにされたニュースもあったがラマの方は多分住宅地になってしまって、もうないのであろう。
サワンガンバルはホテルも兼営し現存と思うが、WEB上での日本語の訪問記は2013年2月の

Sawangan Golf Hotel&Resort : Belly Dancer Reehaneは時々ジャカルタがあったのみ(?)であった。 
市内の安いゴルフ場は7ケ所も閉鎖・転用されてしまって、小生はゴルフ用具も断捨離したようなわけである。

写真もないのでGoogleから借用、まんざらではない。


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2018年12月 1日 (土)

日イの国道1,2,3号線

スマトラの高速が少しずつ進んで最近大統領がスマトラの南端バカウヘニを視察したがここはジャワからフェーリーが着く港である。600pxpantura_001

ジャワの対岸はメラックであるがジャワの高速第1号はここから始まる。それは歴史が教えるところでジャワ北岸道路でほとんどの人が知っているところがジャワ島の真ん中或いは南岸にも劣らぬ大都市があるがそれはどうなっているのかと気になるが、ちゃんと国道3号線が同じメラックから東のバニュワンギまでと担当していて安心する。
フェリーでメラックに上陸したら5㎞程専用道路を走り5.5㎞先のGT Merakの手前で国道1号線が始まり東に向かうが、そこで同時に国道3号線が南に下り同じく東に向かいバンドンージョクジャカルタを通ってバリ対岸のバニュワンギで1号線とつながるのである。
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それでは2号線はどこかと言うとこの1号線と3号線をつなぐJagorawi高速である。但し正確にはTomangからSumanggiを通りCawangに至る部分と、CiawiからSukabumiの手前のCibadakの部分のCibomi高速の部分を含める。つまりCawangで1号線、Cibadakで3号線と繋がっている。 
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日本の1号線―3号線は東海道―山陽道―九州道(九州は 門司から鹿児島)である。昔フランク永井の夜霧の第二国道https://www.youtube.com/watch?v=NBnGN41m-gUや国道18号線https://www.youtube.com/watch?v=xCy5HoDL_oUは今の番号ではないので注意が必要。


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2018年11月30日 (金)

天女の滝 Curug

Curugと言うのは小生に取っては地名であり、なぜか飛行場の記憶がある。単にそれを地図で見ただけの記憶かも知れないが、最近南タンゲランからボゴールの地図を眺めているときこの地名は多く出てきてこれは何か意味があるのだと気が付き

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今初めて辞書を引くとCurug =滝であった。(ただし小生の前からの大学書林にはない)
結局Jakartaを除くBODETABEKの全てにあることがわかった。中には二つもあるので10指になるのであろう。記憶の飛行場はKarawaci近くのBudiarto Airportだろうか、今は固有名詞が付いている。其処ら当たりの道路名にCurug Rayaが付いており行政区の名前でもある。

しかし中でもBogorが山地だから一番多いのであろうがGoogleで多くの人が滝と戯れるレクレーションの滝の池の写真を見つけた。ピンと来たのはスカルノだったかそのコレクションにこの滝で湯あみする天女たちの絵画である。確かそれもBidadariの名前がついていたMisteriのCeritaはまたの機会にしよう。


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ピンと来たはずである。この絵は「Bidadari 天女とBasuki Abdullah」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/bidadaribasukia.html?optimized=0と言うブログで書いたのを見つけた。

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2018年11月28日 (水)

ジャカルタには金のモスクも

ジャカルタは南のデポックの方の話でこの近くにはDepor-Antasari高速とSerpong-Cinere高速が交差する近くで、両方ともまだ建設途上なためGoogle Mapでルートを推定作業をしていた時にMasjid Kubah Emasというモスクを発見した。

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昔、何かの写真でその神々しいい美しさにジャカルタにもこんな豪勢なものがあるのかと驚いたことがあるので、これだ!と偶然の発見であった。その場所をCinere高速で言えばそのGTの名前は多分RimoとかMaruyungになるだろう。 金のモスクのそばの南北の通りはMaruyung RayaでLimo郡に属するからだが、Tol Cinereは未だ開通してないので Tol Desariで行くとしてもマトアゴルフ場の近くのGT Brigif迄である。1996年頃から建築が始まったものでHj Dian Juriah Maimun Al Rasyidと言うムスリムの慈善家(バンテン出身の金持ちの女性?)がやってきたようだ。一般には2006年に公開した。土地は 50haとか70haもあり、本堂モスクは8,000m2で2万人キャパ、土地面積は中央アジアで最大だそうだ。 イスラムセンターも予定していたそうだが、それは東ジャカルタに既にできている。しかし周りにも何かありそうだし、見物がてらのレクレーションにはなるかも知れない。 写真はgoogleに限る。

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2018年11月27日 (火)

Muliaと共に夜のガトット

ホテルのムリアでムリアグループの建物にふれたが それは “このグループはホテル以外にも多くの不動産を保有しており、ジャカルタの例を挙げるとWisma Mulia、 Menara Mulia、Wisma GKBI、Gedung BRI II、 Menara Mulia Plaza 89、Plaza Kuningan。”と言うものであった。本命はWisma Muliaであるが周辺から攻めると
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まずPlaza 89であるが、日本人もそこで働いていた人がいたが、豪州大使館爆破事件でも向かいの離れたここも大被害があった記憶がある。


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ところがここを紹介するサイトには何と、Mulia グループのジャカルタの全ての物件がマップ化されている。上記に列挙した以外のものを書くと、Plaza Kuningan 北タワー、同南タワー、Atrium Mulia・Kuningan、Sentra Mulia・Kuningan、Wisma Antara、Mulia Business Park・Haryonoである。
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ムリアと言えばホテル・ムリアが建つまではGatot SubrotoのMenara Muliaしか知らなかったし、ここにも高級クラブがあって金持ちの息子たちなどがイザコザ沙汰を起こしたニュースがあったが、あれは Blowfishと言う名前だったろうか。 何か勘違いしているようで。。
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調べるとBlowfishの住所にはWisma Mulia City Plaza, Gatot Subrotoとある。そして壁に書かれた入居企業のICBCの住所を調べてもCity Plaza at Wisma Mulia, GF.08, Jl. Jend. Gatot Subroto No. 42とあるので、こちらであったのであろう。つまりここがWisma Mulia(Menaraでなく)でCity Plazaの名前も使っている。

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ところがここの隣にはあと一つビルがある。入口のビルの名前を確認するとWisam Mulia 2とある。従いGatot Subrotoには Muliaのビルが三つある(HaryonoのMulia Business Parkを別にして)ことになる。この三つをちゃんと書いた資料はこのブログのみである。 


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その又となりがJamsostekビルでここにも 大型バーがあった。今Blowfishの名前を確かめるためBest Bar 100を見たが、立派なクラブがずらりとある。昔はJawa Pubあたりをドカドカ入って行った日本人も今やこのリストのドコも立派過ぎてびくびくものであろう。


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2018年11月26日 (月)

センチネルからバドウイとナガ

アメリカ人の青年宣教師が未開の無人島の島民に弓矢に射掛けられたニュースがあった(RIP)が、あの島はインド領のアンダマン諸島から30㎞の離れ島北センチネル島であった。アンダマンと言ってもどこか解らないしインド領と言うとインドに近いかと思われるが、計測するとミャンマーのヤンゴン港から南西に600㎞でその島から又東に線を引くとタイのラノン港まで600㎞となるのこの3点は正三角形となる。インドの南、或いはスリランカから北東に1,200㎞であるのでベンガル湾の東寄りのど真ん中である。 Googoleでも写真の通り、ここまで。
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どこから沸いたかは知らないがここには石器時代から、ある種族が下界との接触を断ち切った生活をして来ており、彼らは自然に種族保持のため外部からの侵入者には襲撃してくるため、どのくらいの人がどのような生活をしているかは政府も、知らない。支援しようとすること自体が絶滅に繋がるからである。つまり現代人の風邪程度のウイルスでもこの種族は絶滅するとしてインド政府は現代人の接近は禁止としている。禁止していることをやるのは自己責任になるが、このような保護種族と言うのはジャカルタ近辺にもある。市内にあれば絶滅させられるが、市内でなく一つはバンテン州のランカスビトゥンの方の山の中のBaduy族であと一つはバンドンのタシックマラヤのカンプン・ナガ族である。インドネシアにはまだまだ多くがあるだろうがこの二つはある意味で観光化されており、彼らの文化と慣習を保護しつつ、彼らも現代技術になんの未練も感ぜず利用できるものは利用しつつ極楽生活を送っているようだ。

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2018年11月24日 (土)

眞都心のプロムナード

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Intilandの57Promnadeこの洒落た名前のプロムナードはどこかと言うとまさにジャカルタの中央になろうとする地区である。まだその地区には洒落た名前はないので有望ある。そこは昔Dukuh Atasと言われていたほか地下鉄の最初の鍬入れ式の行われた時はTosariと言われたしスカルノ飛行場との電車始発駅の時は運河越えのBNIの名前になった所である。と言うと言いすぎでその少し裏側でBNI駅に添った運河カリマランが支流で大きな沼水を湛え最後カリブサールに行くその沼Wadukの所である。タムリン・スデイルマンから数百メートルも離れてないがその沼を見た日本人はほとんでいないと言うほど長く人目に付かぬ場所である。

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よくぞ生き延びたという感じであるが小生は何度か探検に出かけたことがあるが、一番最近はグランド・インドネシアの裏辺りから近づいたが通勤青年たちの単車がびっしり置かれていた空き地利用の仕方であったのを思い出す。
Wadukの名前はMelati(ジャスミン)でかなり南北に広い。今googleで近寄っても彼らが湖辺迄は行ってなくゴミゴミしたところでストップである。 

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このPromnadeはGrand IndonesiaやHotel Ascottのすぐ南に位置する。
57の謂れはJl Kebon Melati、Kav57、Thamrin Jakartaから来ているようだ。
1.3haの場所にCITY 57 とSKY 57 の二つの住居棟を中心にした街を構成している。City57 は1 BR – 55 sqm (160 units)と 2 BR – 103,84 sqm (80 units)を持ちSKY 57は1 BR – 81,91 sqm (76 units)、2 BR – 115,48 sqm (76 units)、3 BR – 182,91 sqm (80 units)と広々としている。ファシリティ面では屋上Sky Garden、Sunset lounge、Gym、Roof Garden、Spa & Sauna, Jacuzzi、Library、Business Center、Entertainment Area、Cooking Class Room、Yoga Center、Semi Outdoor Pool、Children Pool、Function Room、Promenade area、Children Area、Retail Area of grocery, health and beauty、Al fresco F&B、Sports Retail、Jogging Trackとあるが、本当にアルファベットで便利だ。

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2018年11月20日 (火)

GICとIntilandのサウス・スクウエアー

最近のニュースに何度か登場したGICと言う言葉がある。シンガポール政府の保有外貨などの投資運用を担当する国営公社である。 投資物件は当然株式や債券もあるが不動産投資が大きい。小生には初めての出会いであるのでインドネシアの不動産もここまで来たのかという受け止め方になる。
昨日のラジャワリ・グループによるホテル・Four Seasons或いはSt.Regisに絡む物件がその一つである。ラジャワリとの最初のニュースは2014年11月でラジャワリと共同で5億ドルの資本投資を行う協定でジャカルタGatot Subrotoに新たにCapital Place という名前でCBDを建設すると言うものであった。その後このSt.Regisの案件とFour Seasonsに案件が既報の様に場所を取り替えて二つのCBD建設に発展したようだ。
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この後2017年4月にIntiland Developmentと 40-60%でシマトゥパンで7.2haの South Quarterと言う物件に共同投資を取り交わしたが、ここでは20階建てオフイス3棟、商業棟、コンドミ2棟を建てる。ここはFatmawati 病院の右手に辺りLebak Bulus通りとの角地の中にあるが、すぐ目に付く堂々たるものだ。 本当にいつの間に建ったのだろうか、もうNISSANなども入っているかも知れない。

そして続いて8月には同じIntilandとFifty Seven Promenadeと言う物件でコンドミ2軒を建設する。これにはGIC33%、Intiland 36%、そして残りを29.97%をPT. Galang Gema Pradana (Galang).
が出資するそうだ。GICは1,000億ドルの資産をもっているが、インドネシアにはあと最大のシネマチェーンにも2.6億ドルの投資協定を持っている他、画期的には中国のCITIC投資会社の5%shareを持っていることだ。このような政府投資会社はソブリン・ウエルス・ファンドというがシンガポール政府は2つ?もち、GICより有名なのはTemasek Holdingsで2倍の規模がある。

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2018年11月19日 (月)

Four SeasonsがGatotを変える

St. Regisの計画をこのブログで伝えたのは2014年1月28日でGatot Subroto通りでここに47階建てのビルを建てる大きな看板がでていたはなしである。完成は2016年中とあったのでもう出来上がっているはずだが、まずはgoogle Mapで確かめてみると確かに計画の写真と同じような建物が建っている。48階建て215mの高層ビルは全く同じである。 低層が少し斜めすぎとか或いはあと一つ低層があるようにも見える。高いビルはCapital Place Office  Towerと言うようでこの一角をCapital Placeと言っている。ホテルはNautilas Barなどファシリティ含め高層階或いはこのコンプレックス全体を使用しているのであろう。(隣は20階だて、高級ルーム125がある。隣はサトリアマンダラ博物館である。通りのガトットの正面もつい最近オープンしたCentennial Towerや右側はMenara Global である。そういえばいつだったかどこだったかGatot Subroto通りにはモーテルやゴーカート場或いはレスト・コンプレックスが在ったり、或いは目まぐるしく変わったりして、今思えば持て余ししていた気がする。
Fourseasons_gatot


Four Seasonsと言えばRasna Saidにあったホテルで立った時はRegent Hotelと言っていたが、こちらもいつの間にかRajawari保有で、彼らはリノべと称して2014年に閉鎖し、Capital Placeに建設していたSt. RegisをFour Seasonsの名前で先にオープンし、

20181119_2

その後Rasuna Saidの方には殆ど同じコンセプトの高層オフイスタワー超豪華レジデンスと共にSt. Regisを2019年中にオープンすると言う。(写真は同一だろう)
インドネシアのスピード感には小生も追いつけない。


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2018年11月16日 (金)

案外寂しいジョクジャ道

ジョグジャの空港はAdisutjipto空港で市内にあるので手狭、そこで新空港の建設が計画され間もなく着工というニュースがあった。新空港の場所はジョクジャ州の西端の寒村? Kulong Progoで市内まで56kmもあり1時間半近くかかる。この間隔の感覚は市内からソロまでの距離と殆ど同じであると思えばそのさまが解かる。 
地理的にはジョクジャとソロの間に適当な場所があれば両市から真ん中に20㎞台で共用の空港が出来るのであるが。。 
今の計画では同時にジョクジャ~ソロ間の高速も同時(?)着工らしいが、この観光道路がまだできてなかったことに今更驚く。昔はこの小さな国道を何も思わず往復した記憶があるが、そういえば途中にPrambananがあったからであろうか。 プランバナン遺跡群はジョクジャから18kmでジョクジャ~ソロの中間ともいえる。
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その上、目玉のボロブドールは逆方向のジョクジャから西北(マゲラン)方向にあり二つを見ようとするとたいへんである。ちなみに市内からボロブドールまでは約40kmである。 ジョクジャに行くには西からはチラチャップ、西北からはマゲラン、東はソロであるがどことも高速はつながっていない。むしろスマランからは南にソロの方に向かっているのである。ジョクジャは長く陸の孤島である。


古い絵葉書はあったのに、自分が撮った古い写真は多く散逸。残念。

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2018年11月15日 (木)

コタ・サトゥのあまやプロジェクト

NNAが中ジャワ州の不動産開発業者コタ・サトゥ・プロペルティがIPOで約 4.5億円相当を調達した報道をしていたが、佐藤と勘違いして注目したがそれはPT Kota Satu Propertiという名前であった。

Amaya_semarang
この会社は主としてスマランで住宅開発をやっており、現在手掛けているのはThe Amayaと言うニックネームの46haの住宅開発であった。このAmayaと言うのも雨夜が説明に登場する程で、語源は不明のままであった。多分そのような固有名詞の“Luxury Home Resort”,イメージがあるのであろう。コミサリス会長はJOHAN Prasetyo Santosoという人でこの人はSalim Groupの不動産部門で働いてきた建築家でこのAmayaのコンセプトやAllstay Modern Lifestyle Hotel.を作ってきたようだ。コミサリスや他の経営メンバーも大手企業経験の未だ若い世代の経営者である。会社自体が2012年設立したばかりでもある。
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“Luxury Home Resort”,といえばスリランカにAmaya resort & Spaと言うのがあった。イメージは一寸違うかな


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2018年11月14日 (水)

チプトラ最初のタウンシップ

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もう100回も通ったスカルノハッタの高速道路であるがその空港の南周りにチプトラの最初のタウンシップがあったことを知り驚いた。いつも驚くことばかりであるが、日本人一般のおごりで冷ややかに外国を見ていた一人だからかもしれない。ただ一度だけチェンカレン・ゴルフ・コースを訪れた時ぐるぐる回ったつもりであるがその時も気が付いてない。半ば気が付いたときはあの10,000haの住宅地造成会社Hansonを知ったつい最近で、HansonがCiputraと共同開発したものにその名前があった。更に先日のBalarajaから更にSerangよりとなるMaja地区もCiputraとHansonはターゲットにしているようだ。
Citra_garden_sukarno
チプトラの最初のタウンシップとはCitraGarden City Jakartaというもので空港が建設中(1985年オープン)のころ手掛けたもので450~460haもある。Googoleの地図を示しておこう。チェンカレン・ゴルフ場とは少し離れていることが解る。
Ciputera_puri


そこからずっとジャカルタに寄ってJORRに入りTangerang高速と交差するMeruya Interchangeの手前にCiptra Intetnationalが小型タウンシップを手掛けている。Puriの地名を冠しているがGTはKembangan Utaraである、小型と言っても7.5haもある。職住近接タウンである。


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2018年11月13日 (火)

10月インドネシア投資環境 悪夢再来、

10月インドネシア投資環境
悪夢再来、航空機墜落全員死亡、中スラ地震未曾有の結果へ、日イともランキング不振、
住宅建設投資のみ続く

10/4  グーグル・クラウド、ジャカルタに広域データセンター設置へ
10/8  中国系シュータウン、中ジャワ新工場建設へ、従業員最大2万人、投資2億ドル。
10/10 トヨタ・ハウジング、カラワンでの戸建分譲事業、スマレーコンと。
10/24 BCA、電子マネー「フラッツ」1~8月決済2.3兆ルピア、前年同期より3倍も増加。
10/31 東急不、西ジャカルタでも分譲マンション建設へ、35階建て2 棟計608戸。
10/14 工業団地にもハラル:工業省が年内の規則完成目指しているとメディア。
10/15 9月の輸出148.29億ドル、 輸入は146.02億ドル、通年赤字はまだ続く。
10/16 来年最賃上昇率8.03%:労相通知。
10/24 首都MRT第2工区(HI~マンガドゥア)に700.21億円限度の円借款供与へ。
10/31 世銀のビジネス環境ランキング:イは73位(前年72位)。日本は39位。
10/3  チカラン日本人学校の建設安全祈願、来年4月の開校目指す。
10/9  プラポウォ陣営選対幹部のうそ情報拡散:顧問のアミン・ライスも参考人聴取。
10/13 アジアパラゲーム閉幕、金メダル中国(172個)、日本は4位(45個)、イは5位。
10/16 不法就労の疑いがあるとしてパプアで拘束された邦人4人の初公判、無罪主張。
10/18 北スマで仏教寺院や警察署を襲おうとしていたテロ容 疑者2人が射殺される。
10/26 中スラウェシ地震対応終了、死者2,086人、行方不明者1,309人
10/29 ジャカルタ発バンカ行きライオンエアー墜落、189人全員死亡 整備ミスか
10/30 メイカルタ許認可めぐる贈収賄:リッポー幹部が、逃亡の末自首。CEO事情徴集へ
10/30 予算案承認めぐる収賄容疑で国民信託党からの国会副議長が容疑者に認定。

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2018年11月12日 (月)

Ciputraの最大のTownship


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ジャカルタ郊外都市タウンシップは今更花盛りなどと言うよりもう古い歴史もあり、ジャカルタの片隅をちょっと間借りしていた日本人には気が付かなかっただけかもしれない。
単なるマンション建設だけでなく、病院建設、幼稚園から大学までの教育機関、モールを中心として商業施設やリクレーションと緑の広場などなどで益々大型、豪華、ゆとりの環境があちこちに出来ている。これらは住民サービスではあるが大きな事業の芽でありいわば病院も教育も専門外の仕事を不動産開発業者が果敢にやっていることに敬服することになる。
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5回目となるが今回は不動産の雄チプトラグループのCitra Rayaである。ここに或いはチプトラに近づいたのは3回目で一つはチブブール方面を特集した時、シナールマスの1,050ha 以上の物件を開発している気配と二つ目は10,000haもの土地供給に励んできたHanson International Tbkとの共同開発や今回はセルポンから初めて知るBalaraja前の高速を調べているときこの辺りに見た広大なCitra Rayaである。

チプトラ・グループは国内だけでも島外多数の44都市、100物件、国外も数ケ国に進出済んでおり、その物件名はCiputra/Citraの後ろにRaya、Indah, Land、Grand、Garden、Dream、World、Cityを組み合わせた名前が多いので後ろに場所名を記さねばどれがどれか分からない。


上記のBalarajaのCitra Rayaは正式にはCitraRaya Tangerangである。開発総面積は2,760haでこの中に既にWaterparkとかビジネス集積地BIZLINK Citraraya、テーマパークもあり病院も大学もモールもいくつもある。1994年から開発を始め51 Clusterに分け商業1,800店舗、住民65,000の人口に育っている。ここに住めばKeratonもTAKARAゴルフもマイコースとなる。そして4㎞Bitung寄りには日系のNikko Cahayaがあった。

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2018年11月10日 (土)

オアシスはもうない

先日変わりゆくラーデンサレー通りで消えゆくオアシスレストランに触れたが、a tribute portfolio hotelもあることだから復活もあらんと、昔のスクラップでOasisについてTributeしよう。
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1995年Jakarta Postが掲載した記事と写真からである。
この建物は1928築、最初のオーナーは茶・ゴム・キニーネ商人のBrandenburg van Oltsende、その後は1968年Carol Gandanegara氏が購入しレストランをオープンした。1978年にはGolden Mississippiの故Tirto Utomo氏が購入した。3人ともアートやアンティ-ックを大切にしてきたが散逸しないことを祈る。
RijstafelはDes Indes Hotelのテラスで供されていたものである。12人の女性がそれぞれに持った12皿の様々な料理を取り分けてくれる。指揮するのは当時83歳のMaria女史でこのころのセットメニュでRp125,000だった。バタックのバンドは二組AmoresとYan Sinambelaだった。クリントン大統領夫妻も訪れている。
PS誌を外れると安部首相夫妻の写真もネットにあった。

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2018年11月 9日 (金)

カリブサールのジュンバタンメラー

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デルタマスの開発会社プラデルタ社(PT Puradelta Lestari Tbk)の登記上の本社アドレスはカリブサールと表示されていたので驚いたが、カリブサールと言えば昔、シナールマス銀行とBIIがバラットにあることをブログで報告したことがある。二つのシナールマスグループの銀行に挟まれた建物は香港上海銀行で、シナールマス銀行の隣が有名なトコ・メラーである。と言うことでシナールマスに大いに関係はするがこのジャカルタの保存史蹟にでも指定されている建物と不動産建設の雄のシナールマスとは隔たりがあり何か謂れがありそうだ。 ここにはプラデルタ社の兄弟会社のPT Paraga Artamidaもここを住所としている。シナルマスランドの財務報告では二人の兄弟がRp1,000の株式2.78億株の権利がある表示があったが、この会社は投資ホールディング会社で1989年設立、子会社数社を通じ都市デザインからインテリアデザイン迄の仕事をしているようで、というしっくりこない情報の他は情報はない。

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久しぶりにカリブサールに行ってみるとあのカリブサールが半分蓋をされた水辺公園化されたいることは以前にもブログしたが今回このシナールマス銀行の前辺りに橋がかけられジャカルタ歴史博物館の方に行けるようになっていた。橋の名前はジュンバタンメラーと名ずけられていた。
ジャカルタには既にその名前の橋はあったが、又使用するのに本家のスラバヤには許可を取ったのであろうか。


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2018年11月 7日 (水)

インドネシア語の質問語・文法語

“インドネシア語でなんというの”とインドネシア人に聞く場合その言葉の言葉を知らねばならない。例えば反対語は何かと聞きたい場合、反対語をどういうか分からないと聞けないわけである。そのような言葉を少しまとめておくと
反対語:antonim  英語はAntonym
同意語:sinonim  英語はSynonym
語源:etimologi 英語はetymology
形容詞:Bentuk Kata Sifat、 nomina 或いは Pronomina英語はAdjektiva
動詞Bentuk Kata Kerja、Verb 英語はVerba、Verv 
名詞 Bentuk Kata benda 英語はnoun
方言:Dialek、Bahasa daerah
スラング:Gaul、Prokem
挨拶:Sapaan
諺:Pribahasa
意味:Makna、Arti、更にMaksud?と聞くと答えてくれる意味が解らないといけなくなる。
疑問語 interogatif 例の5W1Hでこれも同じで何度も説明を受けなければならなくなる。
挙げて行けばきりがない。頭書に帰り「綴り」はインドネシア語ではejaanである。正書(綴り)というのは英語のorthographyの中国訳語らしい。そんな難しい言葉でなく 英語のスペルと言う方が早い。
名詞・形容詞など文法語の世界になってくるが文法は英語はgrammarでインドネシア語も発音は同じ世界になる。

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2018年11月 5日 (月)

No.1 コタ・ジャバベカのDarmono氏

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Cikarang/Bekasiのジャバベカ工業団地はベカシ・カラワン地区では一番古い工業団地でそれまではプロガドンやマルンダの団地の他はスンターやタンゲラン、南ジャカルタなど小型或いは単純に集まった地区があちこちにあった。日系の第一次進出は繊維のバンドンも多かったので、チカンペック方面の高速はそれなりに早く開発され、また政府の誘導に乗ってかのようにこちらに工業団地が多くつくられるようになった。


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ジャバベカの創設者Setyono Djuandi Darmonoがこの地を眺めた時は荒涼たる風景でレンガ・屋根瓦BricKの為にあちこち掘り起こされ穴の開いた不毛の地が広がっていたが、彼はこれはチャンスに見えたに違いない。そして1989年ジャバベカ工業団地会社を設立しそして1994年には第1号の上場工業団地会社PT Jababeka Tbkとなったのである。工業団地としては最大の面積3,500haを保有し、火力発電所やドライポートも備えた団地となった。

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又ホテルも数軒、病院3院、ジャバベカ・ゴルフクラブもあり、商業地区や住宅地区も整備しながら全体面積5,600haのタウンシップに育っている。このシリーズでデルタマスに続く4番目に取り上げたが面積的には2番目とすべきであろうか。少し評価が低くなるのは高級住宅や別荘・観光に劣る印象があるからであろうか。多分に創業のDarminto氏の人生哲学に根差しているのであろう。氏は1949年オランダの第2次警察行動の頃ジョクジャカルタで生まれ、最終学業は現在のバンドンのUnbar大学であるが、英国のICIで仕事を始め、マンチェスター勤務を経てマーケット部門長まで11年も勤めている。ビンタロで住宅開発などもやりながら1989年Hadi Rahardja,、Sudwikatmono、Rizad Brasali やAdam Kurniawan等と konsorsium 21を形成しJababeka開発に進んだのである。夢は大きく着手は慎重であり、グスドゥル大統領を模範として霊と複数主義、寛容を重んじている。その他彼はジャワ文化の維持に努めBorobudur、Prambanan、 Ratu Bokoの後援やユネスコ活動、PATAの観光活動支援、更に現在Kota100 プロジェクトと立ち上げ全国に自立都市の建設には励んでいる。 Tanjung Lesungjakartan.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-58a1.html観光特区指定を受け更にKendalやモロタイが続いている。ジャバベカにはJababeka Multicultural Center やJababeka Botanic Gardensプログラムも進み、多くの海外活動や褒賞と相まって立派な都市になっていくのであろう。彼には许龙川という中国名もあった。

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2018年11月 2日 (金)

「インドネシア語の日」に正書法

10月30日はインドネシア語の日らしい。何年の事か、何が起こった日かは解らないが、インドネシア語と言えば、まずは青年の誓いが思い起こされる。1928年10月28-29日の第2回青年の会議で採択されたインドネシアの「一つの国家、ひとつの民族、一つの言語」の誓いである。その関連のブログは10件ほどもあるが言語を扱った「Kongres Bahasa インドネシア語の発展」http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-3318.htmlでは6月25日をインドネシア語の日であるとしていた。そのほかインドネシア語のスペリングはオランダ時代のものを引き継いでいたのでこれを捨て簡略化も図った正書法が決められている。それはスハルト時代の1972年であるがそれは大統領決定第57号であるが8月17日付である。正書の一つはSoehartoのoeはuとスペルすることにしたのであるがその法律ではSoehartoとして署名している。英語では正書でSuを使っているがSoekarno-Hattaにも見るように固有名詞では元々の綴りを使うのであろう。
今ではこれに迷う人は少ないであろうが小生は、まだ下の場合迷うことがある。
ch→kh
ie→i
ij→ei
そういえば十数日前か(と思ったら9月3日で2ケ月前だった)このブログでアストラの兄弟の名前をあげたことがあの総師がSoeryadjayaでSuriajayaと読むなどと書いていた。総師の名前の最後はdjajaではなかった。それだと例示が3つも出来たのだが。。
手元にあったスハルトの署名鑑を参考にアップしようとしたが、少し怖くなって取りやめた。ただ彼はS Hartoを崩した書き方であった。

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2018年11月 1日 (木)

Desari高速は便利

ジャカルタ南からデポックに向かう路線に建設中であったデポック(Depok)―アンタサリ(Antasari)高速の一部が開通した報道があった。この高速は略称Desariとも言われる全長21.6㎞の一部でAntasariから5.8㎞のBrigifという場所で
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インドネシア大学の手前のパンチャシラ大学やブタウイの文化村の近くで非常に便利になる。Brigifとは妙な地名だなと思われるがこれはBrigade Infantry 歩兵旅団の意味であるもののこの辺り(Ciganjur-Jagakarsa)には兵営などはない。


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アンタサリと言えばブロックMから無料の自動車専用高架道路Jalan layang nontol Antasari 4.9kmが2012年にオープンしており、これとは直接ではないが1km強でつながる。このJORRとのインターチェンジから南進しJORR 2を超えてデポックの向かう。
この辺りは住宅もあるが果樹園や荒れ地も多いので、土地確保は容易であったのであろう。ただこのBrigifの先の行く手にマトア・ゴルフクラブがあるが越えていくのであろうか。終点のデポックではサワンガンバルのゴルフ場が便利になる。将来はもう目の前のボゴール外環道路と接続する計画である。

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2018年10月31日 (水)

変わりゆくラーデンサレー通り

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TIMの近くのRaden Saleh通りNo.47 に由緒あるOasis レストランがあったが、いつの間にか閉鎖されている。ここでは殆どの日本人がバタビア名物のライスターフェルをトライし又バタックのコーラスグループのこの上ないもてなしと美声にジャカルタに来て良かったと思ったレストランであった。何故閉鎖したのか考えても解らない。歴史もあり、むかし「オアシス・レストランとRijsttafelhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/rijsttafel_7230.html 6月1日」でブログにしたこともある。
その店の向かいにはスンダ料理の踊り子の居る店で、ここもよくお客を連れていったものだ。Raden Kuringと言う名前で当時似たような名前の店はあちこち見た記憶がある。 今のこの店の写真には後ろに例のアパートメン3棟が堂々と立っている。
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店の造りは変わってないが中身がアラブ料理になったのであろうか店の名前もアルジャジーラと変わっていた。 
このラーデンサレー通りは、昔からアラブ系の店やホテルがあったがどんどん浸食されてきているようだ。ラーデンサレーの邸宅遺蹟やその前にあるSurya Hotelも探訪記を書いているが今はその確かめには行きたくない。 歴史は流れる。

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2018年10月26日 (金)

TIM裏のアグンセダユのメンテンパーク

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タマン・イスマイル・マルズキの改修ニュースを伝えたJP誌の写真では昔何もなかったこの公園の裏辺りに高層ビルが建っていてギョッとした。 公園入口の横は昔はオランダ時代のプールが打ち捨てられていた後もう10年以上前にホテルが建ち今はIbis Hotelとなっているがこれは写真には見えない。このホテルを通り過ぎると左手に奥に行く道がある。確か昔は何もなかったと記憶するがこれを奥に入ると、チリウン河に行きつくまで3棟もに立っているのだ。そこはT 字になっておりチリウン河に添って歩道ともなる道路がきれいに整備されている。

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そのこと自体も2014年頃にはTIMの裏手から完成まじかを望見出来ていたものだ。

アパートは33m2~から2LDK主体で我が日本のマンションより立派だ。マンションよりもアパートに乗り換えたくなる。
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屋上プールもあればGimもある。ロビーは広く豪華だ。そういえばここはホテルとして利用されているのだ。2,500円見当でやすい。いつもRpの換算レート自体がおかしいのではないかと思う現象である。
デベロッパーは既にこのブログで語りつくしたアグン・セダユグループであるが9月28日のブログで物件名に記載漏れがあったようだから追記しておいた。
このアパートからはラーデンサレー通りも見下ろし出来るが、あそこも昔の良さが全てなくなり何故かアラビアの街になりつつある。

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