読売新聞のシリーズ 「ちきゅう 時の散歩」と言うのがあり4月20日はインドネシアの大作家 プラムデゥア・アナンタ・トゥール in ブル島と言うものであった。
何故この時期にと関係を探したが出生はジャワのブローラで1925年2月6日、逝去2006年4月30日で4月30日が近い。

この島はアンボンのマルク等の傍にある大きな島であるが、監獄島としてスハルトが共産党関係者を追放した島として有名である。スハルトが権力を握る切っ掛けとなった1965年9月30日事件で共産党は禁止され、プラムディアもその嫌疑で連れてこられたもので1969年から1979年まで11年間 ここで生活を強いられた。プラムディアはその前もオランダにより拘禁2年、スカルノ時代の1年及びブル島送り前ヌサカンバンでの3年と獄に繋がれたため都合17年年間も、自由を奪われ、釈放された時はもう54歳であった。彼の代表作はブル島4部作と言われる以下の4つがある。
『人間の大地 上・下 Bumi Manusia 』
『すべての民族の子 上・下 Anak Semua Bangsa 』
『足跡 Jejak Langkah 』
『ガラスの家 Rumah Kaca 』
(4部作全て、押川典昭教授の20年間の努力により邦訳されめこん社が出版している)
これらはオランダ統治に対する住民の戦いを題材として、スハルト政権をなぞり、ブル島で書かれたが、参照するデータも無く記憶だけ或いは獄中の仲間の話だけで書いたもので、獄中の仲間はこれら小説を語り聞かされることが楽しみで生きる生命とした。
押川教授によるとブル島での強制労働を一種のスポーツとしてとらえ、この生活が無ければもっと早く死んでいたであろうと述懐したそうであるが、この4部作は出版(80年以降)後直ぐ発禁処分となり、釈放後も監視下に置かれETコードが身分証明書に押印された生活で、1989には回し読みした大学生3人が逮捕されたりもしている。
読売新聞はブル島収容された14,000人の中には、行き先も失いそのまま住み続けた人も居るが「既に高齢であり歴史を語り継ぐのに残された時間は短い」と結んでいる。
アナンタ・トゥールの波乱の人生そのものから多くを学ぶことが出来るだろうし何よりもこの人より他にノーベル賞を貰う人はいまいと思うのであるが。。
写真は読売新聞から。政治犯の上陸したナムレア港。 バリ島より少し大きい島であるがGoogle Mapでは何も書きこまれてない島であった。