2017年4月28日 (金)

口あんぐりのGedung Rajiman

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インドネシアの国家英雄でもないのに、それも財務省内の建物に名前を残すなんてと驚いているのはRajimanさんだ。日本の当地ビジネス界で少し知られているRajimanさんでなくRadjiman Wedyodiningratさんだがningratとつくからインドネシアの貴族であり 正式な名前はDr. Kanjeng Raden Tumenggung (K.R.T.) Radjiman Wedyodiningrat (1879~1952)である。驚きはこの名前は財務大臣など財務省とも関係なくあまり記憶にないが、彼はブディウトモの創設者の一人であり、又独立準備委員会BPUPKIの委員長であった。
そして建物とは住友のSummitmasの並びのビルでこの間のWidjojo Center(現在名はSequis Tower)の横のPajak Sudirman(Sudirman No.56)である。
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ビルには何が入居するかであるがカンウィルと大口税務署や上場企業税務署など6税務署が入る。つまりここにはこのビルが建つ前は上場企業税務署があった所でいつの間にか高層ビルに建て替えられたものである。 立て替えの為取り壊された建物は1973年築のこのようにきれいな建物であったので惜しいことをしたものだ。

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小生は新しいのこのビルはSummitmasの隣のビルと混同していた。形状もよく似ているし名前もSudirman Tower(Sudirman No.60)と似ていたのだ。
それにしても前回はこの1月のGedung Marie Muhammadであったが今回はこのGedung Radjiman Wedyodiningratで3月31日の年度滑り込みである。財務省が推進する財務省内偉人などの名前をビル等のつけて顕彰するのには何かほかに意味があるのだろうが、外国(法)人に関係するお役所にこのように馴染みのない名前を付けられると外国人の来訪を拒否しているのではないかとさえ感じられる。道路の名前とでも思って受け入れるしかない。


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2017年4月27日 (木)

輝けるRadius大臣

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バンテン広場奥の旧ダーンデレス宮殿はEKUINの本部だった記憶は1990年代初めここのラデゥウス大臣をお偉方が訪問するときに付いて行った記憶があるからである。Dr. Radius Prawiroは1993年にEKUIN(経済・財務・工業担当)大臣を退任するまでスハルト政権を支えた大臣といえようか まず1965年会計検査院副総裁、1966年インドネシア中銀総裁、1973年商業大臣、1978年中小企業・組合大臣を兼任、83年財務大臣、そして88年経済調整大臣(現在の呼称)を間弾なく務め2005年ミュンヘンで76歳で病死している。彼もバークレイの一人かと思っていたが、彼はオランダ経済大学のあとに同じFEUIに帰ってきていただけであった。彼の財務大臣はAli Wardhanaの後を受けそしてSumarlinに後を継いだので前後をバークレイ組に挟まれていたのでバークレイ格である。
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彼の名前を冠した建物は新財務省側で噴水を前に最初に立った(?)建物で現在は財政均衡総局のビルとなっている。

小生の日本で住んでいる近所にRadieuseラディウスというコンドミがあるので見るたび思いだしていたが、此方は半径の意味でなくフランス語で輝くという意味らしい。モダニズムの建築家、ル・コルビュジエ(国立西洋美術館などが世界遺産となった)が提唱した理想都市の構想「輝く都市(La Ville Radieuse)からのようだ。
ラディウス大臣は IMFや世界銀行の役員迄その間に兼任しており、日本の大臣など詰めの垢でも味わってほしいものだ。

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2017年4月26日 (水)

BAPPENAS が Widjojoに

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一番新しい経済閣僚命名建物は昨年9月披露されたGedung Widjojo Nitisastroである。それも由緒あるオランダ時代の建物で、且つ永くスハルト時代の象徴役所であるBAPPENASの建物(Suropati公園前)で、小生には変える理由が解らない。少し財務省がおかしくなっているのかと勘繰りたくなる。 
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しかしスディルマン通りに昔からWidjojo Centerなる名前の建物があったがもう売られて、その名前を知る人はいなくなりつつあることも考えねばなるまい。彼Widjojo(1927~2012)は財務省本部の建物に名付けられたWardhanaの時に触れたバークレイ・マフイアのリーダー格で、他に仲間にはフランスセダ、エミールサリム、スマールリンなどがいる。
カリフォルニア大学バークレー校を卒業した彼らはインドネシア大学の経済学部FEUIを本拠にしていたがそこの恩師がスミトロ・ジョジョハディクスマである。そして彼はBAPPENAS(国家開発企画庁Badan Perencanaan Pembangunan Nasional 国家開発企画大臣府 PPNの機関)はスハルト発足時経済を任されたWidjojoが最初に指導した役所で彼は1967年から1973年まで長官であった。その後彼はその上の経済調整大臣(当時のEKUIN)を2期10年勤めているので財務大臣になることはなかったものである。この時代は年率650%もの物価が狂乱しインドネシア国民が一番貧困に苦しんだ時代である。
この建物はオランダ時代の1880年に建設され昔はVrijmetselaarslogeと呼ばれていた建物だそうだ。

(追)一番あたらしい:その後財務省の建物の命名はMarie Muhammdと Radjiman Wedyodiningratがあった。
両方ブログ済(4月28日)


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2017年4月25日 (火)

ESDM BPSDM


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モナスの南側タムリン像の前のエネルギー・鉱業資源省はKementrian Energi dan Sumber Daya Mineral と言うものでESDMと省略される。この略称にはもっとポピュラーな名前SDMが入っており間違いやすいがSDMはSumber Daya Manusia人的資源・人材開発の意味で市内各所にある。
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一番明瞭なのはチャワンからタンジュンプリオクニに上るパンジャイタン通りにある。(とばかり思っていたらこれはSDAであった。AとはAlam自然かAir水である)
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人材開発は各省でも熱心でガトットスブロト通りにBPSDMと言うのを見かけたがこれはBadan Pengembangan Sumber Daya Manusiaの頭文字で公共事業省のものである。法務省ではBPSDM-Hukum dan HAMと後ろにつける。
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そして同じガトットスブロト通りにまさにエネルギー資源省のものがあるがSDMが二つ名前に入ると思うとそこは訓練教育(Diklat)センターとしていた。Diklatとはpendidikan (教育)dan pelatihan(訓練) の省略形である。
財務省はPPSDM或いはBadan Pendidikan dan Pelatihan Keuanganと言う。

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2017年4月24日 (月)

BAPEPAMの隣りのGedung Ali Wardhana

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BAPEPAM-LKがOJK(金融サービス監督庁)となった建物Gedung Sumitro Djojohadikusumoはこの間通ったときはこの名前は写真に写っておらずやはりOJKだけであった。OJKとは、アジア金融危機の後の時代から銀行の監督をいかにするかの問題があり、中銀が担当してきたが、片や資本市場管理庁はBAPEPAMが担当しており、BAPEPAMに財務省管轄のノンバンクや保険の監督機能を付したのがBAPEPAM-LKであった。これに中銀の銀行監督機能を移し金融サービス全体の監督を任せたのがOJKで世界的にもここまで集中した国は少ない、いまだ実験中だともいえようか この建物はバンテン広場の裏側のダーンデレス・コンプレックスのワヒディン通り、財務省本館コンプレックスに面してある。
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この建物の左隣が経済担当調整大臣府で建物の名前はGedung Ali Wardhanaである。これをAA. Maramis館としてこちらもBAPEPAMの物としている者があるがそれはまだ未確認である。ところで経済調整大臣府はメダン・ムルデカバラットの憲法裁判所の隣にもその名前を冠した建物がある。多分一部の機能がこちらでもやっているのだろうが、その建物の裏側には遠隔地開発大臣府の看板が出ているので共有である。

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現在はその名前はKemen.Desa,Pembangunan Daerah Tertinggal dan Transmigrasiと改称していると思う。その他そのビルにはEITI(採取産業透明性イニシアティブ)と言う聞きなれない役所もある。Extractive Industries Transparency Initiativeの省略であるが石油・ガス・鉱物資源等の開発に関わるいわゆる採取産業から資源産出国政府への資金の流れの透明性を高めることを通じて,腐敗や紛争を予防しもって成長と貧困削減に繋がる責任ある資源開発を促進するという多国間協力の枠組み。(日本外務省)とある。さてAli Wardhanaであるがスハルトがオルデバルを開いた1966年米国研究中のAli WardhanaやWidjojo Nitisastro達、インドネシアの経済エリートをここに集めEKUIN(経済・金融・工業)のかじ取りをしたところで後にバークレーマフイアと称されたが

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彼らは本館のダーンデレス館にいたので現在でもこちらも使っているのではないだろうか。但し正面には財務省の看板があり左端に経済調整大臣府の看板があった。


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2017年4月21日 (金)

Gedung Marie Muhammadに意味ありや?

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最近財務省の建物群にニックネームを付けるのが流行っている。その最初の発見が旧裁判所のPriyadiで、2回目がSumitroであったのでバンテン広場周辺だけだと思っていたのだがガトット・スブロト通り BKPM横の租税総局ビルにも名前が付いた。その名前は昔財務大臣であったMarie Muhammadである。少し前になるがそれは今年1月で首謀者はスリムルヤディ財務大臣である。
Mar'ie Muhammad.と言えばスハルトの降版前の絶好調の・第6期で大蔵大臣を務めており、表貌からもアラブ系(東ジャワ出身)である。小生の記憶ではルピアを使えとドル使用禁止を打ち出した最初の財務大臣である。租税総局とは大臣になる前に総局長を務めている 彼はMr.クリーンと言われた精錬潔癖で有名であったので現在の職員にも好影響を与えるかもしれないが、今や税の横暴は個人レベルの収賄というよりやくざ集団化しているところが問題である。 おかげで政府の建物は全部立派なものになっている。


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2017年4月20日 (木)

ジャカルタ一人旅行記

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結局小生はパレンバンにも行かなかった。その理由の一つは、弊ブログにパレンバン観光案内まで書き上げることができたGoogleのおかげであったが、並行して読んでいた本に奇妙な旅行記紹介記事がありそれに影響されたかもしれない。それは前川健一氏の「旅行記でめぐる世界」の中に紹介のあった謎の旅行記「戦後の世界を飛ぶ」(高田市太郎編、日本交通公社1948年)である。
高田氏は毎日新聞欧米部長で、本の冒頭部分に「1948年9月1日ニッポン晴れの秋の朝、私はスーツケース一つの身軽さで旅立った」として始まる米、欧アジアと世界1周するものである。実際に高田氏が帰国したのは1949年4月であるが、この旅行記の出版は1948年11月10日なのである。そして筆の滑りか告白か「そこは便利なペンの旅行だ」とも書いていていたのである。
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小生のジャカルタ旅行そのものは、毎日驟雨はふきすさび、タクシー待ちに1時間単位、乗っても渋滞なので時にパジャイも利用し渋滞回避のため遠回りや車線指示までしていると写真どころではない。副大統領府の写真を撮ると警備の者に追っかけられ、

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サウジ大使館でもにらまれ小道に入り追跡を巻く。ほっとビールを飲むところもない。

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2017年4月19日 (水)

Gedung Sumitro Djojohadikusumo

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旧ダーデルス宮殿の財務省の左端が元裁判所であったが現在元財務大臣の名前をとってGedung Prijadi Praptosuhardjoというが、反対側のスネンに近い角には同じく財務大臣の名前を付けたGedung Sumitro Djojohadikusumoがある。これは昔資本市場を管理する資本市場管理庁BAPEPAM を母体としたBAPEPAM-LK(Lembaga Keuangan)の事務所棟である。後ろのLKが付いている通りEfek(株式)、Bursa(取引所)だけでなく、ノンバンクも管理するものである。2014年から中央銀行から銀行監督機能も移管し金融サービス庁(OJK)となっている。
Prof.Dr. Sumitro Djojohadikusumo (1917年~2001年)は独立後から財務畑で47年に インドネシア銀行総裁、そん後通産相、蔵相その他重要大臣をこなし子息はプラボウォ・スビアントとハシム・ジョジョハディクスモがいる。

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2017年4月18日 (火)

一人西遊記

従軍記者がスラバヤからバタヴィア迄一人で汽車の旅でついた日は朝まで豪遊した話でその豪胆ぶりに感心したが今度はそれより5年ほど前の昭和12年の西アジア遊記という一人旅の本があった。これらの本で小生のほんのパレンバンやマカッサル旅行への一人旅決行にどれだけ後押しを受けたか計り知れない。
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しかし結局は体調わるく見知らぬ土地では危険と判断せざるをえなかった。彼、宮崎定市氏は歴史ジャーナリストでちょうどその時37歳、計画では国際会議のあったルーマニアからトルコに入り、イラク、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトを汽船や汽車やバス(アンコット風)或いは馬で各国2~3の都市を回りながらアレクサンドリアを船で立つ11月までの2ケ月の長旅である。当時の民心は貧しかったが、外国人を世話する気持ちは自国民を犠牲にするほどであったが,半面、汚れた衣服の眼病持ちのただれた老人から受ける甜瓜も口にせねばならぬし、一方で貧しさからくる執拗な手伝いの押し売りは相当なもので行くところ行く所誰かしらやってきて便所に迄ついてくる。子供たちの最初の可愛さも最後には豹変し心付け(バクシン)を連呼しながら威嚇する。彼は必ず寺院や遺蹟或いは市場(スーク。バザー)を自分の足でめぐる。当時は必ず日本領事に表敬訪問すると食事まで呼ばれたり歓迎をうけ注意事項を教えてくれる。しかし危険地帯のどのくらいかは彼らにはわからず、結局大変な所まで入り組んだ道に迷い込んでしまいどうにか脱出する。危険地帯は最悪はシリアの中のユダヤ人らしい。トルコの統治の大統領はケマールアタチュルクという英傑でに日ロ戦争に勝った日本びいきで改革もおこなったが、このバクシンなどと言うチップ強要を禁止したそうである。しかし所謂暗黒世界の上がりであるシャドウエコノミーでは現在タイ(麻薬か)、ロシア、フイリピン、ブラジル、エストニア、トルコが上位である。日本は良い方から5位、インドネシアは20位程度であった。
そして氏の得た確信は「西アジアの人たちは人間の地位が白人より上である自負がある」と言うことであった。いずこもそれはあると思うが特にインドネシア人も日本人より上に思っている人が多い。それが日本の合理性や迅速性などの美徳のアドバイスに聞いても聞いた振で終わるのである。

バクシンと言う言葉はGoogle 検索で一つくらいしか出てこない言葉だった。

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2017年4月13日 (木)

3月の投資環境:インドネシアはまだ元気 そのうち日本抜くよ

3/14 2050年イは世界第4位の経済大国(16年は8位):PwC報告。日本は8位に転落
3/7  ダハナが中短距離ミサイル製造へ、政府が発注。
3/1  1月の外国人訪問客数1,030,748人、前年同月比26.58%も増加。
3/10 国営鉄道KAIが車両刷新計画、国営INKAに2020年までに900両発注見込み。
3/10 アディ・カルヤ、首都圏LRT建設で社債発行+銀行融資計4.6兆ルピア。
3/13 トヨタ・モーター・マニュファクチャリング、新社長にイ人副社長が昇格
3/13 国営5社で産廃物処理MoU、プルタミナ、AT、B/A、ティマ、アサハン企業連合
3/16 スリウィジャヤ航空がビンタン・リゾート開発に参入、サリムと
3/17 PLN、16事業計1,825MW開発に計21.1兆ルピア投資で契約。
3/29 PLN、再生可能エネルギーによる発電所開発10件、民契、計45MW。
3/17 インドネシア・エアアジア、成田~バリ就航へ、5/25以降、週4往復。
3/22 国営70病院の経営統合、持ち株会社制に。
3/29 首都空港ターミナル3と2結ぶ無人運転スカイトレイン、試験運行目指す
3/18 パランカラヤに首都移転案浮上、ジョコウィが調査指示と内務省幹部。
3/5  環インド洋連合サミット(IORA)がジャカルタで開幕。

日本企業もやりたい
3/14 日本の楽器メーカーがブカシで4,340万ドル投資、1,600人雇用し、99%輸出
3/15 デルタマス拡張1,600ha計画。

インドネシアの魔の手も
3/1  5千人を税務調査官に:タックスアムネスティ不参加納税者中心に特別税調
3/3  コメ・トウモロコシなど生活必需食糧11品目のVAT非課税は違憲判決。
3/17 スミットマス前歩道橋で邦人男性が強盗被害事件、犯人は4人組、

そのたちょっと記録したい件は多い
3/8  MRT路線付近の土地のNJOP、最大30%の引き上げ:州税庁が予測。
3/16 アンチョール沖人口島開発、3島は違法で開発許可が無効:行政裁判決。
3/17 パレンバンでもLRT開発、切符支払いは電子マネーで。
3/1  サウジ国王が47年ぶりの来イ、チラチャップ製油所拡張など計70億ドル投資
3/11 電子KTP事業で数十人の国会議員汚職
3/12 バドミントン全英オープン男子ダブルスでインドネシア・ペアが優勝。
3/13 新駐日大使にアリフィン元ププック・インドネシア社長任命。
3/15 日本政府の草の根・人間の安全保障無償資金協力決定計71億ルピア。
3/17 ブロックMスクエアでエレベーター落下事故、25人けが。
3/20 ジャンビの洞窟2ヶ所で古代壁画見つかる、人や動物が描かれているという。
3/23 首都のバスウエイ専用高架道テンデアン~チレドゥッグ間で完工
3/24 イスラムが7世紀に最初に伝えられた場所としてバルスにモニュメント。
3/24 ブカシで教会建設反対のムスリムら数百人が暴徒化、警官隊と衝突騒ぎ。
3/29 対イ円借款739.88億円署名、灌漑整備や海岸保全など。
3/31 インドネシア・サトゥ:NPWP、KTP、運転免許証等のデータを一つのカードに。

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2017年4月11日 (火)

パレンバンの観光資源


パレンバンの観光資源ObjekWisataは21も有ると書いたが、それを先ず列挙してみよう。なんと30近くありそれが2泊必要だと思った理由である。殴り書きで間違い乞容赦であるが
1. Jembatan Ampera :1,177メーター、けん引式、日本の賠償
2. Kampung Kapitan:ネオン飾ったアンぺら橋を見る恋人スポット

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3. MuseumSultan Mahmud:かってのオランダ理事官官舎
4. Masjid Agung Sultan Mahmud Badaruddin :南スマトラ一
5. Bundaran Air Mancur 泉水

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6. Benteng Kuto Besak :Darussalam スルタンが遺した砦
7. Taman Purbakala Kerajaan Sriwijaya:スリウイジャヤ王国時代の遺蹟公園
8. Museum Negeri Balaputradewa,:スリウイジャヤ時代の遺物博物館
9. Gedung Kantor Walikota(市役所 オランダの水供給設備、夜間スポットライト)
10. Kembang Iwak :市役所近くの湖上ファミリパーク
11. MONPERA:人民勝利記念碑
12. Punti Kayu 林業公園
13. Rumah Mak Bani Montok (伝統住宅 1万円札裏のデザインRumah Limas)
14. Masjid Cheng Ho
15. Klenteng Soei Goeat Kiong:最古のお寺
16. Amanzi Water Boom ;巨大プール公園
17. JSC Jakabaring Sport Center:アセアンゲーム用 GBKに次ぐ最大
18. Pabrik Pupuk Pusri:尿素肥料工場西アジアナ製油所プラージュとゲロング
19. Bagus Kuning プルタミナ所有の動物自然公園
20. Pulau Kemaro(ムシ河のデルタ島・水上生活

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21. Klenteng Hok Tjing Rio(クマロ島の中国寺院)
22. Kuil Buddah(クマロ島の仏陀礼拝所 Imlekで賑やう)
23. Fantasy Island
24. Kampung Arabu
25. Kawah Tengkereng
26. Museum Tekstil:
27. Pusat Kerajinan Songket.:金糸の晴れ着など手芸センター
28. Kawah Tengkurep:パレンバンのDarussalamスルタン一族の墓所
まだまだ続く、市外に出るなら更に増える、写真はネットで借用したが多すぎて後でどこから借りたか分からなくなりました。


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2017年4月10日 (月)

日曜日の巡り

いつだったかブロックMにあるという綺麗なモスクの写真にネットで出会ったことがある。
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ブロックM スクウエアーの屋上で清々しくみえた。昨土曜日、ガルーダ店でパレンバンに行くのをあきらめた後の事である。スナヤン・シテーや、ジャカルタの大手のモールはフランスなどの有名ブランドのファッショングッドばかりの店で時間つぶしにもならない、そこでスナヤン・プラザに歩いて移動、やはりここも面白くはない。
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裏にアルカディアと言う大きな2階建て程度のレストラン設備があり、昔、そこで簡単な中華ミー(ラーメン)を食べたことと思いだし行ってみた。
驚いたことに十数年前になろうと思うのだがこの建物の中の店は皆健在である。ロケーションが悪いようだがゆったりして喧騒を離れる感じがいいのだろう。
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中華の名前は漢字では難しいがDin Than Fung、日本の福天や河岸の一八も、アイリッシュパブやスペイン・バーグリルなど健在で感激、昔行った友人に伝えたい気分だ。新発見はファーミリー🎤もあるようだ、(これ確認要)
そこから本式昼食でも取ろうと思ってBMに移動、BMへは表がMRT工事で大渋滞ゆえ運ちゃんの為を思って(小生は渋滞前で降りれるが運ちゃんが渋滞に置き去りになり可哀そう)裏のパサラヤで降りて歩こうとした時、このモスクを思いだしたのである。
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7階屋上でエレベーター、エスカレーター、階段で行く。警備の人がいたが屋上は広く、場合によりここまで車で上がれるようにもなって、涼風が行き渡る。
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名前はMasjid Nurul Imanとあり、何かいわれの人の名前なのかノンムスリムには解らないが一体にインドネシアムスリムにとってモスクの名前は有用なのか疑わしいので詮索はやめるがネットではインドネシアだけで9つくらいのNurul Imanの候補が出てきた。
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丸福ではビール一杯とマス酒だったが、体調悪くだるくなった。やはりパレンバンはいかなくてよかったと思ったことだったが、少しゆっくりさせてもらい回復を待ちそのあと日式パブによったが、ここはおねだりと逆に拒否すると一挙に悪化する態度(サービス拒絶)に頭もほてり怒り狂いながら最後はすごすご引き上げた。他のお客も一言もおしゃべりもなく帰って行ったのはなぜだろうか
アルカディア、丸福、日色パブでこれが日曜の音入れ巡りで昨日からの体調云々は頻尿・硬便であったのである。

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2017年4月 9日 (日)

パレンバン旅行とムシ原油

土曜の朝思い立ってパレンバンに行きたいと思った。
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75年前大空に咲いた空の神兵に思いをはせることが出来る所だからだ。パレンバンが小生のブログに出たのは日本が建設したアンペラ大橋ぐらいであろうか 来年のアジア大会の開催地(ジャカルタと共催)にも触れたことがあるが、できれば油田地帯でも覗きたいと思ったのである。しかしWikipediaでは油田について触れられたない。

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間違いなければ油田は市の南70kmのPrabumulih,に在りここからパイプラインで市のムシ河の南側のPlajuとGerong精製、貯蔵タンク地帯に運ばれて精製活動しているようだ。
歴史的にも、オランダのNKPMやBPM、アメリカのStandardが関連してきた。最近ではイリーガルな野天掘り(?)のイリーガル採掘堀が106ケ所もあったり、火災を起こしたりと大変なようだ。
インドネシアの原油生産を一瞥すると最近の埋蔵量37億BBLで可採年数12年、2003年より国内需要が生産より多くなり輸入国である。現在国内9製油所で111万BPDであるがPlajuは13.5万BPDである。

2~3年前tiketは空港では買えなくなった報道があったので確かめると確かにそうだ。オンライン予約にしても料金を調べたりもしたい中うまく行かず、ままよ市内のガルーダ店に行こうと決めた。その前にどれだけ訪問すべきポイントがあるか調べるとさすがPalembangは人口1.7百万(2010)のインドネシア第5位くらいの大都市であり、21ケ所もある。
上記の資源関連、大昔のスリユージャヤ王国関連、オランダ植民地関連、中華寺院他華僑関連、ムシ河水上生活関連、アセアンゲーム他エンターテインメントなど纏めてもこの土曜これから立って1泊では無理そうだ。現地で様子を見て帰りのチケットを買えればいいのだがガルーダで聞いて見ようととりあえず出立。ところが市内のガルーダ・スデイルマン店は土曜日で休み、廻ったスナヤン店はモールの中で10時のモールオープンまで待たされる。この辺りから体調も自信無くなりあきらめざるを得なくなった。この間から、実際行くよりGoogle Mapでの旅行に味を〆ていたからあきらめも早かった。


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2017年4月 5日 (水)

ダナレクサ辺り

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ホテル・メルキュールの隣は国営投資信託銀行のDanareksaである。1976年創設の名前も立派であるが最近活動状況は不明である。現在投資信託を扱う機関はAgen Penjual Efek Reksa Dana(APERD)は大手銀行中心に21行あるが、その中にはDANAREKASAの名前はない。この分野は間口が広くインターネットへの情報提供が少なく一番Transparensyが不足している。こちらも樹木が茂りその上最近工事中の幕の中であったから猶更だ。
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昔、「ホテルサバン・メルキュール」と言うブログでこの建物はBAPEPAMと勘違いしていたがこの通りジャランサバンが交差する道クブンシリーをクブン・ジュルックと間違っていたことも気付いた。


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2017年4月 4日 (火)

ソ-ランウエイ Chaulan

度欲さんのジャワ点描紹介記事に日本人会館と日本人小学校はソーランウエにある。」と言うのがある。戦前のバタヴィアの日本人会と日本人学校の事でジャカルタの日本人会の重鎮であられた石居日出雄さんからの話で「現在の地名ではJl. KH Hasyim AshyhaiのKali Krukutにかかる橋の西詰めの南側です。」紹介記事には「ソーラン・ウエ」の「ソーラン」はChaulanと綴りますとも記載ありますが小生もこの名前は聞いたことがある。
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このMr.Chaulanさんはフランス人でこの一帯の地主で、その土地に立ったのが当時東洋一を誇ったホテル・デス・インデスでこれはフランス語読みだとデサーンと読まれていたそうだ。つまりこの一帯はハーモニー会館含めフレンチクオーターだったらしい。 又従軍日記の話になるが従軍記者はスラバヤから一人列車の旅でジャカルタに来てこのホテルに投宿したはいいがその日のうちにベチャを連れまわし夜の街を徘徊、その日はとうとう高いホテル代がフイになる豪遊であったがやはりあの当時の日本人はやることも図ばねけていたと妙な所で感心したことであった。写真と記事は関係ありません


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2017年4月 3日 (月)

北のジャラン・サバン

もうだいぶ前になるのであるがアグスサリム通りの北の端にホテルが再開したというブログに隣のビル名を間違えていたので訂正がてら再登場願ったのはHotel Mercureである。
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そしてその隣と言うのは資本市場管理庁BAPEPAMと間違ったDanareksaである。まずはダナレクサと言うのは国営の投資信託会社である。所謂ミューチュアルファンドを扱う会社であるが、今日見に行った時は何か工事をやっていた。この道はアグス・サリム通りで旧称ジャラン・サバンと言いこちらの方が今でも通りがいいようでこの辺りを入口にしてイマムボンジョール迄つながる由緒ある道であったのであるが現代は一番賑やかなあたりが一方通行になりこのホテル辺りは逆の一方通行となってしまった。

同じ通りの名前を付けている理由もなくなり、この一帯は若干寂れ気味でそのためこのホテル旧名ホテルサバンはつぶれたのではなかろうか 明るくなった現代の写真風景を掲げて応援をしてあげよう。

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2017年3月30日 (木)

Gedung Prijadi Praptosuhardjo  って 何処の事」

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KPPN国庫総局のセクリタリアートはGoogle Mapでは左手の旧裁判所の写真が出てくるが、総局サイトでは住所はGedung Prijadi Praptosuhardjo となっている。と言うことは役目も名前もなかった旧裁判所にニックネームが付いたというわけである。この名前には可愛げも親しさも感じないがそれはこの名前はこの全体の建物敷地の保有者財務省の内部の人間であるからである。しかしちゃんと財務大臣にはなっている。しかしワヒッド大統領の時代だが2000年8月の内閣改造からメガ政権移行の1年弱の短期であったので記憶には残ってない。
調べると1939年生まれで既に2001年12月に62歳で亡くなっている。財務大臣になるまでは35年BRIに尽くしている。財務大臣としての功績はIMFへの依存から脱却しようと政府間の直接的なメカニズムで融資を追求することを計画したが実施の脱却は2003年からとなったはずである。

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2017年3月29日 (水)

新首都候補 パランカラヤ

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又ゾロ首都移転問題がでているようで今回はジョコウイ大統領がパランカラヤに首都移転することを調査するように指示したらしい。パランカラヤとは中部カリマンタンの州都であるが山の中でなぜこんなところが候補になるのか疑問も沸く。ここは日本人が恐れるダヤック族の居住区でマズーラ族との抗争事件も小生には記憶にある。ジャカルタが移転を考える最大の理由は大統領宮殿も見舞われる洪水であるようだがここは山地だからその心配はないのだろう。1957年に市制が始まった新しい都市でインドネシア一の広さを誇る、人口2十数万である。まだ開発途上で広大な森林地帯はオランウータンなどの動物も住んでおり共存が過大であろうか。

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最初の開墾の鍬はスカルノが振り下ろしたそうでその地にスカルノの塔が建てられており、生まれの時から首都を嘱望されていたようだ。首都が移っても日本人社会は移らないだろう。写真はWikipedia より借用。


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2017年3月28日 (火)

移転価格税調への対応その3


インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 3月号は、1月の移転価格文書化法令からの特集として税調への対応を解説しています。
その他、この月刊誌は会計、税務,、貿易、金融、産業、経済、企業 政治等のインドネシアで経営する企業が関わる全ての分野の重要法令など満載しています。法令ニュースなどを迅速・簡便なE-mailでお届けするサービスもあるので、是非ご連絡ください。 他に会社運営に必要な会計記帳・経理指導、税務計算申告代行、投資関連許認可・変更事項の法務セクレタリ-なども個別フイーにて提供しております。どうぞご利用ください。
詳しくはウエブサイトwww.indonesialink.net/indomalco/或いはメールアドレスrisa@indomalco.com又は kitamura@indomalco.comに照会下さい。
1. 今月の経営情報・事例研究 枚 頁
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 3 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   7 5
  3 ) インドネシアの 「会計原則 213~リースの会計 3 」 4 12
  4 ) インドネシアの 特別委任状の実施省令の示達 その1 5 16
  5 ) インドネシアの 自由貿易協定 2 21
  6 ) インドネシアの TDP更新手続きの簡素化 5 23
  7 ) インドネシアの 自動車に対する奢侈品販売税 2017年税率 1 28
  8 ) インドネシアの 輸出関税課税品目と税率の見直し 3 29
  9 ) インドネシアの SNI強制適用の工業製品リスト その1 4 32
  10 ) インドネシアの 自動車以外の奢侈品税リストの改訂 1 36
  11 ) インドネシアの 輸入水産物の品質・安全管理 4 37
  12 ) インドネシアの 新建設サービス法 その2 5 41
  13 ) インドネシアの 移転価格に関する問題解決のための方策 2 4 46
  14 ) インドネシアの 林業製品の輸出規制 アップデート 3 50
  15 ) インドネシアの 有機加工食品 1 53
  16 ) インドネシアの ロブスター・カニの捕獲・輸出規制 2 54
  17 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 1 56
   
2. 今月の政治・経済情報      
  1 ) 2017年2月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 1 57
  2 ) 2017年3月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 3 58
  3 ) 物価・貿易2017年3月発表 メール配信 1 61
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 「インドネシアとマレーシア」 広沢 勉 2 62
  2 ) 「カリブサール・チムールIII・クニール通り」 西見恭平 6 64
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2016-2017トレンド メール配信 2 70
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 72
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 73
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。    

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表紙写真:東ジャワ州南部ルマジャンの町中に建つプロテスタント教会。表札を見るとJemaat"PancaranKasih"Lumajangという名称のもよう、「慈愛が噴出するほど満ち溢れる」という意味か。インドネシア西部プロテスタント教会GPIBのメンバー教会である。ルマジャンからはスメル山の美しい姿を見ることができる。


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2017年3月27日 (月)

ジャワ点描 新発見

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「ジャワ点描」の一つの写真で、本の説明ではライスウエーク通りであるが、その写真はどこなのかの推察する箇所があった。推察の結論は「パサールバルーの東側にあるJuanda駅南端の踏切(今は立体交差になっている)付近から西の方角を撮影したものでした。写真奥に続いているのが、Jl. Veteranで、右角にある商店の裏側は川です。また左角にあるのが由緒あるホテルでしたが、今ではショッピングモールに変わってしまいました。」となっている。
腑に落ちない所があるので小生も探検隊に参加してみました。ライスウエークと言うのは今のJl.Veteranである。この通りは東西に長く東のパサールバルーのJuanda駅南端の方はオランダ時代Noordwijkと言うはずだいうのが疑問の一つで、もしその推察のジュアンダ駅南橋からだとすると、右角にあるのは商店ではなくホテル(今もHotel sriwijaya)だがその裏側に川はなく、また左角にはショッピングモールに代わったホテルとしているが、今は運河を超えてイステクラル・モスクに代わっているので現実と一致しない。
由緒あるホテルでショッピングモールに代わっているというのはむしろホテル・デス・インデスで今はドゥタ・メルリンと言うショッピングモールがあるのでそれならハシム・アシュアリ通りである。


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ところが、小生はこの写真と殆ど同じものをみつけていたのである。それをアップしたのが「シンガーミシンの頃」というものである。
そこは今Veteran通りがマジャパヒット通りにでてくる所である。そしてマジャパヒット通りは、オランダ時代Rijswijkstraat言われたものでその四つ角のエルメスの像の辺りからマジャパヒット通りを映したものに違いない。

他にもここを映した写真も出てきたのでアップしておこう
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これらは左側のハーモニー会館が見えて、又右の家の後ろにつながる屋根並みからも四つが同じところの写真であることが明確である。 年代の印字等からして電車が通っているのが1936年、次が1937年、シンガーになっているのが1939年である。

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2017年3月24日 (金)

難しいNUの再認識

3月16日にハシム・ムザディ元NU議長が死去されたニュースがあったが、我々日本人にはそのニュースバリューは解らない。
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ハシム氏はグスドゥルが大統領にえらばれた後を継いだナフダトゥール・ウラマの議長で現在の議長サイド・シロギ師に引き継ぐ迄の1999年から2010年の間第9代議長を務めたわけである。シロギ師については最近の事なのでニュースで人なりが解ることがありその一つに
Benarkah KH. Said Aqil Mengatakan Warga NU tak akan Milih Ahok?  NUメンバーなら華人のクリスチアンをジャカルタ市長に投票するなと言ったとか
NUは拘束力は低い文化的社会を理想とするもので本来政治にはアンタッチだとおもうのであるがどうだろうか スハルトに対したのは政治と言うより文化であったと思う。ところでNUは二重指導体制と言われ総裁と議長がある。総裁は1926年にNUを創設したアシュアリが初代であり、イスラムの教義を論じるシュリア(Syuriah 宗教評議会)の長であるが議長は組織の運営に携わるタンフィズィア(Tanfidziah 執行部)のKepalaである。
学識・見識とも総裁がNUを代表するもので議長をシロギに譲ったあとのハシムは2014年の総裁に打って出たが熾烈な競争に敗れている。
所で総裁や議長の区分や何代目に当たるかなどWikipediaなどでも乱れている。Idham Charidについてのブログは併記しなおした。
“Idham Chalid のNUとしての働きは1952年(1956年)から1984年までの長期に渡り、2代目の総裁(7代目の議長)の座にあり、それを4代(8代)のグスドゥルに譲った”

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2017年3月23日 (木)

Kantor Harrison & Crosfield

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カリブサール・チムールの北はこの地区の中で一番荒涼とした地域でDKT市が保存史跡として指定されたものが少ないので報道される機会もない。小生はちょくちょく行ってみるのであるが最北端の吊り橋あたりが古い倉庫が崩壊しつつあるのは確認するがなんの進展もなかった。この中で最近名前が知れた保存史跡があるのを知ったのがこのHarrison & Crosfield事務所である。Kali Besar Timur No.25である。この会社はお茶、コーヒー、ゴムなどを扱うイギリス出身の商社で、1910年建築である。その後は隣のAsuransi Raharjaの倉庫だったりフローリスト Mu’isが営業していたらしい。
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アート・デコ風建物でアーク型正面は吊り橋付近にもほとんど壊れかけた建物があるので似た者同士でこのブログに同居させてもらおう。


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2017年3月21日 (火)

不思議なアパート奢侈品税

奢侈品税の規則が出たそうで住宅及びノンストラータタイトルのタウンハウスは200億ルピア以上で20%だと報じていたが、これは、なぜ出たのか、以前から変わってない不思議の規則である。コンドミ・アパートだと100億に下がるが不思議その2はこの高価さである。100億ルピアは770,000ドル、バブルのころ40万代は見たことあるが、このような物件はないのではないだろうか。昔2013年にタムリン通りにリッポー・ストラータ・オフイスhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-2a50.html(分譲オフイス)をブログしたがその値段を見ると158m2の67億であったが、この物件はなぜかまだ完工していなかった。
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法令の中のApartemen, kondominium, town house dari jenis strata titleと言う文章でストラータ・タイトルはアパートもコンドミもタウンハウスにもかかる修飾なのかどうかであるがインドネシア語法ではルールはないので全部デモいいが、上と対比してタウンハウスだけにかかるものだろう。しかし偶々ここでは全て共同住宅なので全部にかかる修飾としてもおかしくないが法令の表現としては失格である。

ところでストラータ・タイトルとは何かであるがJETROのホームペイジには「アパートなどで建物全体を入居世帯で分割し、そのユニット・ロットを所有する形態では、ストラータ・タイトル(Strata Title)が採用されている。法令では「共同所有地の権利とその上の建築物の区分所有」に相当する。」
などと定義されていますが日本人にはあまりわからないですね。
要するにこれはニュージーランドの用語で、日本では土地(共有)も建物(専有)も別々の不動産であるがインドネシアなどでは建物は土地の付随物となっていることからの権利形態ではSertifikat Hak Milik atas Satuan Rumah Susun (SHMSRS共有建物の住宅所有権)というピンクの権利書が発行される。
言わば空中所有権と言われるが上段のノンーストラート・タイトルのタウンハウスとは何かというと共有する部分がない所謂テラス・ハウスを言うのではないかと結論付けたがどうだろう。

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2017年3月20日 (月)

昔から綺麗なサランガン湖畔

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昭和18年、予定のないまま従軍作家が何故か気に入られたマディウン施政長官の計らいで治下のサランガンで1.5ケ月も過ごす。
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サランガンSaranganとは、中部ジャワとの国境にある観光地で休火山の霊山Lawu山3,265mのふもとであり南にWisata Telaga Sarangan湖を望む素晴らしい景観を持つ。
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当時はここはマゲタン県下でマゲタンの県長はソロ王家を継ぐ6代目の土侯である。その下に1市5県15郡あり郡は76村で村は20区で構成されていた。日本軍政の施政長官はマデウンに住んでいたが彼が動くと県長郡長村長の車列が延々と連なり宴会も出し物も又延々と用意されていた中、長官は長靴の足をテーブルに投げ出し大声を張り上げて急がせるかと思うと、すぐ飽きて勝手に中座する封建ぶりをみせる。当時日イ友好の絆を謳う軍国歌謡「八重汐」が出てくるが小生も初めて聞く尊大なものであった。 連合側の男たちはLawu山の北のナウイの拘禁所に収容されていた時代で、街にはまだ多くの外国人婦女子も生活するなか日本軍はキニーネ、鐵工所、砂糖工場、ホテルなど接収し土足で住宅に入り込むなど我が物顔に生きているようだった。

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Magetanから道を取り、湖畔に差し掛かる道は田舎の観光地で 衣料やお土産屋が軒をつないでいる。 そこからLawuさんに向かう道はなく 東側の山麓に点在する住居を縫う道から山に登ろうとしたが、5kmも手前でgoogle車は行き止まりとなった。GoogleMap様有り難う、全編googlemapより借用画像である。


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2017年3月19日 (日)

ゴーグルでお墓詣り

昨日、お彼岸のお墓詣りをした。と言っても九州は遠くGoogleしただけであった。 
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お墓は福岡の筑後と八女をまたぐ耳納山脈の中腹にある。昔は本当に山の中であったが、いつの間にか立派な公園、名前も吉井百年公園流水プールという公園が出来ており、

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明るい場所になっており、そこから筑後平野を見渡せる。
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数年前行った時は桜も満開のいい時であった。小学生時代 6年ほど過ごしたこの山道、災害にも見舞われず平和にたたずんでいた。この道は自動車でも行けgooglで山頂を目指した

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が行けども行けども暗い山林道で途中でやめたが山頂は800メートル強である。そこはもう八女郡で星野氏が構えた山城跡が残っている。一応先祖だという。
それにしてもここまでカメラを回したgoogle mapには感心する。(山頂と見晴らしの写真はgoogleより借用、その他は5年前)


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2017年3月17日 (金)

東ジャワ州庁舎の設計

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Gedung Grahadiの前の道Jl.Gubernur SuryoをTunjangan Plazaに向かい更にHotel Majapahitを超えて2kmも北に向かうと英雄の塔である。
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その向かいが州事務所とBappedaがある。スラバヤに行ったのは東日本大震災の日であったが、その前日にここもちゃんと写真に撮っていた。


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Google Mapから撮って見るとこうなる。
文献によればIr. W. Lemci設計で1931年完工のローマ風だという。
確かめるためLemciを探すも彼は昨日の官舎の設計者として出てくるだけで、それが間違いだろうと確かめる伝手がない。後に1945年10月スカルノがこの場所で連合軍のHawtorn将軍と休戦協定を調印したところとなったが、翌11月9日最初の東ジャワ長官のSoerjoが連合軍が出した無条件降伏の最後通牒を蹴った場所ともなった。

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2017年3月16日 (木)

Gedung Grahadi

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1月24日の「スラバヤ古郵便局2題」のブログで偶然撮ったKantor Pos Simpang Surabayaは丁度東ジャワ州州長官官舎の真ん前であったからこれまた小生のアルバムに偶然撮ったこの写真があった。

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ニックネームはGedung Grahadiと言いオランダ時代の州理事官の官舎で、1795年建築と言うから222年も前になる。場所は裏のkalimasを見渡すところに立っていたのを現在の場所に移したことがあるというのでその時リノベはしたのであろうが正面ファサードは同じである。名前のGraha adiと言うのは高度な価値を持つ建物という意味でまさに時間の経過にも脅威度を発揮している。官舎ではあるが観光用にも開放されている。州長官はここから英雄の塔の前の役所に通勤するのである.。

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2017年3月15日 (水)

KPPNの地方事務所

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KPPN国庫総局地方事務所の数は30もあり驚いたが更によく見るとその下に主要都市毎に180もの事務所があることが解りびっくりしたが税収を図る税務署の数が多くても驚かないが改めてこの事務所の職務を調べてみたくなった。総局のペイジには国庫財政の政策立案とか実行がある。執行の確認、資産負債管理、会計・予算策定などがあるようだ。それが全国隅々まで必要とはイメージが沸かないが、実際はそうであり、かつ地方事務所ビルも立派である。

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何時かバンドンに行った時州政府事務所近くにGedung Sateと呼ばれる特異な形をした州政府ビルと同じようなビルがあり、写真に収めていたのでそれをアップしよう。バンドンのGelogi(地質学)博物館の横である。冒頭の写真はマランの事務所である。

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2017年3月13日 (月)

タンボーラ税務署の裏表

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先日Dharma Niagaのブログをしたときその場所をRoa Malaka SelatanのTambora税務署の筋向いとしたが、その後他の文献でTambora税務署は違うところにあることを発見して驚いた。急ぎ訂正するため再度チェックしたところ、なんのことはない、それは同じ場所で表と裏であったのである。
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即ち違う場所だとした文献は昔のHSBCでこちらの住所はKali Besar Barat No.14であるが両社は背中合わせであったのである。 このHSBCは昔http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/hsbc-f9ea.htmlとしてブログしたこともあるが、130年以上歴史のあるHSBCがこの建物を建設し長く君臨していたがその後は商事会社などが入っていた時代もあるが空き家にするよりと税務署として使うことにしたのであろう。建築設計は又も有名なHulswit, Fermont, Ed. Cuypersで正面のアーク上の入り口などNeo Classicスタイルに属するらしい


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2017年3月10日 (金)

NHMとKPPN

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ジャカルタのColonial buildings and structuresのリストに不審なアイテムがある。その昔の建物はオランダのNHMであるが場所はファタヒラーでなくNoordwijkであり、現在はKPPNという。

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NHMと言うのはあの強制栽培時代から東インディアから収穫物をどんどん積み出した強大な商社であるNeder-landsche Handels Maatschappiであり、これは曲折を経てコタ中央駅の前のMandiri銀行博物館になっているはずのものである。
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場所のNoordwijkは現在のJuanda通りなので、ここにも営業所の一つもあったのであろう。紹介文には1910年にEduard Cuypers M.J.Hulswitが設計したもので、1984年に取り壊されている。そしてそこを訪ねると確かにKPPNと言う現代的建物がある。KPPNというのはKANTOR PUSAT DIREKTORAT JENDERAL PERBENDAHARAAN
でDG Perbendaharaan (国庫総局)の独立事務所のようで国家の歳入歳出を管理する庁である。

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全国30州にKPPN事務所(Kaneil)を持ち本部はラパンガンバンテンの旧大蔵省の裏側にあり、JKT州事務所は又その裏にある。従いJuandaの事務所は何だろうと写真に目を凝らすがKanwil XIの下部組織のようであった。 国庫総局の機能の詳細は調べてないが、全国にこのような地方事務所を中央政府管轄下で持っているのは同じ財務省の租税総局があるが、インドネシア共和国も大きくなったものだと感心する。

PS: 事務所は州事務所の下に主要都市にあり、その数200を超える。


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