« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月の投稿

2006年3月29日 (水)

ホテル インドネシア 

ホテル インドネシア・3月28日
_hi_hermes_filatel_kestnian_010

グランドインドネシアが完成してもホテルインドネシアの旧3棟はリノベーションして残すことになっている。 ホテルインドネシアは日本の戦後賠償(US$223百万)として建設された4つのビル(ヌサンタラビル、サリーナデパート、プラブハンラトゥホテル)の一つで、建設は1959年開始、1962年完工している。当時国際級の唯一のホテルとしてインドネシアの誇りでもあったもので、30年後の1993年には早くもジャカルタ市の歴史遺産として指定されており、保存が義務付けられている。 
1962年はスナヤンスタヂアムで第4回アジア大会が行われた年でもある。8月5日スカルノ大統領は各国大使を招待しオープニングの式を挙げた。一番目のゲストは米国ロックフェラー関係の人だそうである。建設施工はPenbangunan Perumahanとインドネシア企業の名前となっているが日米の協力で行われた。

現地人の評価では、熱心な芸術愛好家であるスカルノ大統領が力を入れただけあって、建国時の芸術家の絵画や彫刻作品が多数あり或いはホテルのモザイク壁等に施されていた。特に多くのヌード彫像がプールサイド他に置かれていたのも彼らしい。 小生は宿泊したこともないし、日本料理の「山里」にもほとんど行かなかったので記憶が薄い方であるが、屋上階にはNirwana Supper Clubやインドネシア料理レストランがあったし、一階のRamayana TerraceやGanesha Barは色々演奏をやることも多く 一寸座って飲む気軽さがあった。 
当初のT字型のホテルは、1974年バリ ボールルームが追加され変形七字型となっており、このまま残るようである。ホテルインドネシア或いは HIという名称もジャカルタに付き物のデモ隊が気勢をあげた名所であったBunderan HIと共に残ると思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月24日 (金)

グランド インドネシア

グランド インドネシア 3月24日
インドネシアの大プロジェクトは胡散臭さが付きまとう。 イメージとのギャップが大きすぎるのと本当の当事者や計画の内容が見えないからでもある。 ホテルインドネシアとその周辺の大開発も規模は目をみはるものがある。
現在裏手の旧ウィサタホテルは取り壊され、その一帯とホテルインドネシアの敷地にアパート、オフイスビル、ショッピングモールが数棟立ち上がっている。 いわばトレードセンター街という巨大ブロックが出来上がり、グランドインドネシアと言う名称が予定されている。 5月には日本の西武デパートが開店する話もあるが建築自体が遅れているように見え相当ずれ込みそうである。

現在ホテルインドネシア本館壁のボードに巨大な完成後の姿が描かれているが これは当初の計画のままのようで二棟のジャカルタで最高となるオフイスビルが描かれている。当初のうわさでは55階建てであった。
2003年10月のジャカルタ新聞報道ではホテルインドネシア(HI)側には10階建てのアパートと7階建てのショッピングセンターと立体駐車場が建てられ ホテルウイサタ側は5,000店舗収容のトレードセンターとなっており両者は地下ショッピング街でつなぐとされている。

さらにこの計画は8社の入札でインドネシア第3位のタバコ会社ジャルムグループのチプタ・カルヤ・ブミ・インダ社がイ政府と30年BOT契約で行うものとされている。政府の取り分は49%である。

西武のジャカルタ進出は2回目で最初はパサラヤ ブロックMとの契約であった。今回のはSOGOの相手でもあるPT Mitra Adi Perkasa,Tbk (MAP).との契約である。 リパブリカ誌がこの1月に報道している。
写真は3月のある雨の日のものでホテル正面のものと、裏側から ホテルウイサタとAstonを望むものである。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年3月10日 (金)

ヘルメスの像

3月10日 ヘルメスの像
_hermes_ke_adhi_karya_1

数年前、昔のハーモニー会館の前のコタの入り口に掛かる橋に立っていた小さなヘルメスの像が盗まれたニュースがあったが2月上旬にここを通ったとき又立っているヘルメス像を発見した。この橋はジュアンダ通りからガジャマダ通りに曲がるカリチリウン川に掛かっているのであるが現在は橋の長さは数メーターで幅はその数倍ありそうなので橋であるとは気が付かないで通り過ぎるようだ。
この像は1905年オランダ植民地政府が観光のため立てたとされるが橋の欄干の中央に天球に乗せられる形であるので高さは2メートルもあろうが像自体は40cm程度である。この像は勿論創作でなく1580年のGIOVANNI DA BOLOGNAによるヘルメスの像を模したもので、小さな翼のある帽子をかぶり、踵にも小さな羽のあるサンダルを履き、左手には、2匹の巻きつく蛇と羽ばたく翼で意匠化された杖をもって、右手は高く天空を指している例の像である。 

昔、ドイツで骨董品アサリしたときつかまされ今も自宅の書棚にあることを思い出して、出して眺めると、その美しいバランスに見とれるほどである。
この杖のデザイン化したのが一橋大学の校章になっている。

ヘルメスはギリシャ神話の出てくるオリンポス12神の一つでローマ神話ではメルクリオス(英語名マーキュリー:水銀のようにすばしっこい)と言う。
色々ないわれを持つが一番は商業の神様である。 それ故の商都バタビアに関連するのだと思う。生まれてまもなく、アポロンの牛を盗んだので、盗人の庇護者であり、聡明で雄弁であり主神ゼウスの右腕となり天空を飛ぶ使者や道案内もした。発明の神、旅人の守護神でもある。
左手の黄金の伝令杖(ケリュケイオン)はジャカルタのヘルメス像にはなくなっている。
この像はジャカルタ市の歴史遺産として保護リストに掲げられている。紛失事件も多分この像が倒れて川に落ちそうになっているのを市の公共工事課が救い市の博物館に仮り展示したあと返されたもののようでメディアが騒ぐほどの事件ではない。レプリカかも知れないが元々レプリカでもあり、騒音渋滞の中、却って人目にもつかず、スカルノの植民地遺物の破壊キャンペーンを生き抜いた点に意味があるようである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »