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2006年6月15日 (木)

ヤニ将軍道路・記念館・銅像

高速道路名の英雄事跡 6月16日
4月29日の「高速道路の国家英雄」で道路名になっている英雄を上げたが内2人の革命英雄についてその事跡を紹介しよう。残りはインドマルコ社に寄稿で出しているので月刊誌を購入されて見てください。
<Letnan Jendral Anumerta S.Parman>
出身は中部ジャワ ウオノソボで1918年生まれ。9月30日事件で殺害され、「革命英雄」(Pahlawan Revolusi)としてカリバタ英雄墓地に眠る。
若い時は医者を志したが日本占領により、日本で憲兵隊の教育を受けることとなった。独立後はジョグジャカルタの警察軍地区司令参謀、ジャカルタ首長軍参謀を歴任APRAの反乱*を鎮圧した。
50年アメリカの軍事警察学校に派遣されたあと、ロンドン駐在武官、帰国後は陸軍大臣・陸軍司令官のAisten I を勤めた。スカルノ末期の共産党の動きに反対した結果1965年9月30日(G30S/PKI)共産党反乱軍に殺害「わにの穴」(Lubang Buaya)に埋められた。
*APRA(Angkatan Perang Ratu Adil):1946年11月にオランダ軍の大尉であるWeterlingが率いるRatu Adil軍が南スラウエシで起こした虐殺事件で後にインドネシアの正式独立後の1950年バンドンでも新生国家に対する反逆的事件を起こしたが新国軍により成敗、Westerlingは国外逃亡した。
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<Jenderal Anumerta Ahmad Yani>
1922年6月19日プルヲレジョ生まれ(スハルトの1年下)。SMA2年中退であるが義勇軍に入る他、独立後は米国司令・参謀連合カレッジで学んだ。中部ジャワ反乱ではBanteng Raider*を組織し活躍、1958年のスマトラ・スラウエシを拠点とするインドネシア革命政府の反乱*を鎮圧でも活躍し陸軍参謀長に任じられた。
共産党により彼も10月1日黎明に拉致され殺害されLubang Buayaに埋められた。革命英雄である。
彼の自宅はジャカルタ ラトゥハリハリ通りに当時のまま残され、前庭にはヤニ将軍の立像が立っている。
*西部ジャワのダルルイスラムと呼応するテガールで起こった反乱。こちらは1954年には制圧された。
*PRRI(Pemerintah Revolusioner RI):分離派Ahmad Husein中尉が中心にSyafruddinを首相としてスマトラに建国宣言、インドネシア国軍は陸・海・空を合体した8月17日オペーレーションをヤニ大佐に命じ、これを鎮圧した。
*Permesta(Perjuangan Rakyat  Semesta):これもメナドに起こった分離独立運動、これも1958年8月鎮圧された。

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