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2006年6月 1日 (木)

輝く日本 「菊川」

流れる川のレストラン「菊川」、6月1日
Kikugawa
このブログをスタートした最初の日記に出てくるジャカルタの日本食レストラン「菊川」について今日のジャカルタポストにTiarma Siboro氏が JP誌が用意した「輝く日本」と言うコラムで 「流れる川のレストラン菊川」を執筆しているのでこれを以下に紹介しょう。小生も北のカラオケに行くついでにと言うと何だがよく利用する。余りにも安すぎて気の毒になるほど良心的である。文中の「さらさ」は日系の運輸会社グループが発行するフリーペーパーで数ヶ月前に数回に渡って寄稿文を掲載していた。
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インドネシアで一番古い日本のレストラン菊川は中央ジャカルタのチキニにある。オーナーの菊池輝武氏はこの4月21日にそのうぶ声の設立36周年を迎えた。サラサと言うグルメ雑誌に紹介された菊池ストーリーによると彼はこのレストランを作るアイデアが浮かんだのは1960年でこの夢の実現を1963年に着手した。
その当時、インドネシアには日本の会社が急速に成長し始めておりこれらの会社に働いている日本人の多くは友達と外食する場所の必要性に飢えていた。
「中華料理やヨーロッパのレストランは多くあったが日本レストランはゼロであった」と菊池氏は語った。
彼は1969年の4月21日に彼のレストランをオープンした。佐賀県に1918年に生まれた彼のインドネシアへの最初の訪問は1942年3月-軍の将校としてであった。この駐在のときに、彼は北スラウエシのメナド生まれのアメリカ人(訳者注:メナドのインドネシア人のはず)と会った。二人は恋に落ちて、家庭を持つことに決めた。
「4月21日は私には忘れ難い日である。それは私がレストランをオーピンした日である。 それは又私の妻の誕生日でもありインドネシアの国家英雄となった女性運動家のカルティニの誕生日でもあるのです」、と菊池氏は言った。丁度東京でもオープンしたインドネシア料理のレストランの名前「ブンガワンソロ」に思いつきこのレストランにも「Gawa}を入れることにしたと言う。ブンガワンソロとは日本で歌われた一番有名なインドネシアの歌でありジャワの河の名前である。「Gawa」 は同じく日本語での川と「 kiku 」は菊であると彼は言った。
「Kikugawa」 が菊の川を意味するように - 私は河が流れるが如くこのレストランを運営することができることを希望しました。 ここの日本人の間で今非常に人気が高いのも、それは初期の難しい時代があったればこそです。 最初にオープンしたとき、私達はお客に出すパンを探すのも難しかった。」、と彼が思い出しながら語った。 最も贔屓にしてくれたお客はデウィ スカルノプトゥリー、建国の父スカルノの奥さんであった。それにつれ菊池の家族とスカルノの家族は親密な関係になって行った。1965年に崩壊したクーデターの時代の政治的に混乱した中で、菊池と彼のワイフはデウィが娘を出産するときのに助けた。菊池の家族もデウィもそのとき一時的に日本に戻った。
スカルノの家族との菊池の関係は前大統領のメガワティ スカルノプトリの時代も継続した。 メガワティの一人友人は、彼女が政治的に伸びていた時代に既にこのレストランで何度も菊川の料理の味を楽しんでいたと語った。
今日、「菊川」の人気は日本の社会の域を超えている。 レストランへ訪れる誰もが1960年代にそうであったような伝統的な音楽と内部装飾で迎えられる。 以上

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コメント

とても面白かったです。

喫茶・蘭も古いそうですね。(^◇^)」

投稿: バタビアン | 2006年6月21日 (水) 16時03分

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