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2006年6月 1日 (木)

ジャカルタの塔 モナス

ジャカルタの塔 先ずはモナス 6月1日
Monas_terang

ジャカルタは塔と像の町である。町の至る所に立っているが最大はジャカルタのシンボルモナスである。Monumen Nasional(National Monument)の省略でここは独立広場(Medan Merdeka)とも言われる。日本の敗戦直後、独立の熱気に集まった何十万の群集の反日暴動化寸前にスカルノが演説し鎮めたことで世界に独立国としてのメッセージを送ったことは有名である。現在はこの一帯は憩いの広場的に自由出入りできなくなってしまったが80年代までは多くの屋台が取り巻き、レストランや映画館キャバレーや日本のカラオケまであり、連日終夜まで市民で賑わっていた。又ジャカルタの発祥記念日には物産展(博覧会)が催わされたが、これは現在はクマヨラン飛行場後のジャカルタ博覧会場(PRJ)に移った。オランダ植民地時代はKoningspleinと称された。
この広場の中心にこのモナスが立っている。 この塔にはエレベーターもあり頂上の下の展望館からはジャカルタが一望の下に見渡すことが出来る。ここに行くには地下道がある。塔の基盤は独立記念館となっており、独立にいたる歴史ジオラマが飾ってあり、又独立宣言文の原文が残され厚いガラス越しに、又録音されたスカルノの宣言文読み上げの声を聞きながら覗くことが出来る。いつもは見物人でごった返しているが采配人に握らせるとVIP待遇してくれたがそれも数年前の話であるので現在は知らない。変わらないのがインドネシアだ。 この塔はスカルノの発案で1959に開始1961年に第一次オープン後、追加の建設を経て1975年に完成した。
Linggaをイメージしたのか スカルノの最後のerectionとからかう人がいる。独立宣言文の日付は05年となっているが、これは日本の紀元2605年の5年で宣言文が日本の前田海軍武官官邸で、立会いの下作られた証拠となっており、インドネシア政府はこれを隠すのに躍起である。 日付は8月17日でこの1945と8と17はこの塔の設計に織り込まれている。1945は塔を取り巻くフェンスの棒の数、8は博物館の高さ、テラスまでの高さが17メートルと言う具合である。

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