« インドネシアテレビ業界地図 | トップページ | 目に余るイスラムNUの押し付け »

2006年7月30日 (日)

イリアン開放とヨススダルソ通り

トリコラのアルー海戦
チャワンからタンジュンプリオク港に向かうときチェンパカプティからタンジュンプリオクまでの道路名はヨススダルソ通りでヨススダルソはイリアン開放戦の国家英雄である。正式にはLaksamana Muda Anumerta Yos Sudarsoと言うが彼は1925年中部ジャワサラティガ生まれた。スマランの航海専門学校卒業し独立宣言後すぐBKR-海軍に参加した。各種艦長を務め、1962年イリアン開放の戦時下、アルー海域でオランダの海空からの攻撃を受け乗船した魚雷艇Macan Tutulと共に沈んだ。
イリアン開放戦はスカルノが民衆を含む三者の戦いの司令部 (Trikora)の戦いとして発表、地区総司令官はスハルト少将でヨス・スダルソは海軍総司令官(後任はスドモ)であった。アルー海戦で生き残った魚雷艇ハリマオは現在タマンミニのスハルト公園に飾られている。

|

« インドネシアテレビ業界地図 | トップページ | 目に余るイスラムNUの押し付け »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: イリアン開放とヨススダルソ通り:

« インドネシアテレビ業界地図 | トップページ | 目に余るイスラムNUの押し付け »