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2006年7月27日 (木)

ガトットスブロトとAKABRI

Gatot_subroto_1
ガトット スブロト通り
ガトットスブロト通りはジャカルタのどの地図でも真なかを東西に横切る通りとして見ることが出来る。既に紹介したSパルマンとパンチョランの塔までである。その名前になっているガトットスブロトはそれほどトップの人物ではないようだ。少し調べてみると次のようになる。

1907年中部ジャワ バニュマスで生まれ。  オランダのHIS、マゲランの軍事学校を卒業、オランダの植民地軍(KNIL)に入隊、日本占領時代はボゴールのペタ独立義勇軍の中団長に、独立宣言後は創設TKRに参じた。
1948年マディウンの共産党反乱事件後スラカルタの州知事となり治安を守った。
その後ディポネゴロ軍管区司令官に上ったが1952年の反乱に連座したこともあり辞任した。その3年後呼ばれて陸軍副参謀長となった。 インドネシア国軍士官学校の創設に尽力したとされる。
スハルトの上官で庇護者でもあったため、スデルマンに次ぐメーン道路の名前となったとも言われる。62年に死亡、1週間後独立英雄(Pahlawan Pembela Kemerdekaan)が贈られた。

アカブリ国軍士官学校創設時のいきさつは次の通りである。
インドネシア共和国軍事士官学校が設立される前に、それぞれの軍と警察軍は、すでに士官学校を持っていた。陸軍は、国立士官学校(AMN)を、海軍は、海軍士官学校(AAL)を、空軍は、空軍士官学校(AAU)を、インドネシア共和国警察は、警察大学を持っていた。これらを統合したインドネシア共和国軍の中に軍事アカデミーを設立しようとする考えは、最初陸軍副官ガトット・スブロト陸軍中将によって表明された。この考えは、その後国軍スタッフによって推進された。1965年に0.B.シャアフ少将が長をつとめる、軍事アカデミー設立委員会が設立された。この委員会は、審議の結果として1965年12月10日にインドネシア共和国軍事アカデミーの設立に関する大統領決定書を発表した。この決定書は、A.ガニ準将の率いる軍事アカデミー指導センターによって実現された。1968年1月29日にマグランで、防衛安全長官、M.M.カルタクスマが、軍事アカデミー(普通科)を公式に開校した。

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