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2006年8月17日 (木)

シャフリール・シャリフディン・シャフルディン

独立宣言から真の独立までに活躍するこの3人は正悪2面あり、名前も似ているので混同する。スタン・シャフリールは国民が不満で迎えたリンガルジャティ協定を署名、最初はシャフリールと同盟したアミール・シャリフデインは更に不利なオランダとの連合を認めるレンビル協定を署名した。シャフルディン・プラウィラネガラはオランダの第二次侵攻でスカルノ逮捕の空白をスマトラ臨時政府で埋めたが1958年にはスマトラにインドネシア共和国から分離独立するPRRIの首班となり、鎮圧された後66年まで投獄された。シャフリールは後にスカルノ批判で逮捕、亡命先で客死している。最も悲惨なのはシャリフデインで倒閣後は逆に先鋭化した人民民主戦線を率い、共産党ムソの反乱に同調しハッタと国軍に反旗を翻すも敗れて銃殺刑となる。色々あるがシャフリールもシャフルディンも国民英雄となっていることも不思議の一つであろう。多分にスハルトのスカルノ排除の中での出来事なのであろうか

シャフリール:1966年死亡、60歳、ライデン大、リン協定調印、客死、民族運動英雄
シャリフディン:1948,43?歳、ライデン大、レン協定、マディウン事件連座、銃殺
シャフルディン:1989,78歳、ジャカルタ法科大、臨時政府及び革命政府、国民英雄

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