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2006年8月29日 (火)

ファインアート・セラミック博物館

Seni_rupa_depan_canon
Museum Seni Rupa dan Keramik 陶器絵画博物館
この博物館の建物は1866年~1870年に建てられオランダ植民地の裁判所であった。
日本占領時には兵営として利用、独立後も国軍が使用した。1973-76年はDKIの西ジャカルタ市庁舎となった後、1976年スハルトが博物館とした歴史がある。絵画部門ではインドネシアの近代絵画から現代絵画まで、Raden SalehからDede Eri Supriaまでの有名な画家の絵が鑑賞できる。陶器類(セラミック)部門は多くは明時代の陶器などアンティークからコンテンポラリーまであるが全体的に説明が少ないのがものたりない。正面の玄関ホール部分の1、2階が陶器の部門で後ろの縦に3棟が奥の回廊で二つの中庭を形成する如く繋がっている部分が絵画部門(保有点数450点)である。この絵画館は1976年アダムマリクの発案を当時のアリサディキンに出しスハルト大統領の儀典長であったヨープアベの協力でBalai Seni Rupaとして出発した。従いアダムマリクからの寄贈品も多く見かける。インドネシアの絵画の目覚めは19世紀の半ばにオランダの影響を受けたRaden Salehによるがそれまでは作者不詳の宗教・儀式的なものであった。Raden Salehはオランダに政府留学で10年滞在、ヨーロッパで一斉を風靡するほどに有名で名作はヨーロッパに残ってこの絵画館には「Bupati Lebak」など2点である。
19世紀にはいるとオランダの絵画学校がバリの設立されここを卒業したHofker等の時代を経て1950年有名なAffandi「Potret Diri」、Hendra Gunawan「Pengunsian」S.Sudjoyono「Tiga Wanita」Hendra Gunawan「Pengantin Revolusi」Basuki Abdullah「Wanita」などが輩出、1980年代以降もDede Eri Supria(Urbanisasi)等多くの画家がいるが専門過ぎるので他日、他人にお任せしよう。

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