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2006年9月27日 (水)

Langgar Tinggi、Pekojanの古いモスク群

Ar-Roudhohモスク
ホテルバタビアのカリブサールの裏側は古い移民達が植民したPekojan地区で長い年月を経た古いモスクが生き残っている。この地区のAngke運河との間の住宅と倉庫郡の中に種族を異にしたイスラム移民が引き続き住んで来た。市の文化・博物館局によればPekojan地区のモスクがMuhamadiyahムハマディアの創設者Ahmad Dahlanアーマド・ダーランと Islam Syarikat イスラム同盟の創設者 HOS Tjokroaminoto チョクロアミノトのような、何人かの有名なイスラムの学者を育てた。彼らは Jamiatul Kheir 、1901年に Shahab 兄弟によって Pekojan で設立されたイスラムの教育機関のメンバーであった。

最も古いモスク、 Ar-Roudhohは貿易のために ベンガルからバタビアまで来たインドの回教徒によって17世紀の初めに築かれた。 人口急増で中東とインド建築文化の入り混ざったスタイルの家が建ちこみ、結果一段大きなモスクAl Anshor が立てられた。
建物自体は朽ちて来ているが、両方共今だ地域住民に使われている。

1740年の中国人大虐殺の後のバタビアでは、中国人グループによって起こされた Tanah Abang地区での暴動が続き、結果インド人の回教徒は貿易取引で増加する役割を果たした。
それで、1748年には共同体は、 Kampung Baru モスクとして知られてる、もう1つのモスクを作り今でもイドリフイトゥリには多くの人が毎年集まるそうである。

最も特有なものとして、1760年に Banten Fatahillah 軍の指揮官ダーランによって建てられたAn - Nawier モスクがある。 彼の墓はまだモスクの裏庭にある。
このモスクは典型的なドーム形のモスクと異なり、トスカナの円柱と四隅のミナレット(タワー)を持つオランダのエリート住宅のようである。 そのLの形をした意匠もモスクとしては特異である。

又最も新しいモスクLanggar Tinggiは中国とポルトガルの建築様式の混合である。
Langgar Tinggi は川の横に位置するため洪水を警戒し高い建物になっているが同時に宗教的な機能をも高めている。市の歴史財産として指定されているにも拘らず一階はコンピュータの店とアラブの香水店の地元の企業家によって賃貸に出されている。 指定された建物であっても自らの維持資金は自ら工面させられているのである。

Pekojan 地区は今でも西ジャワからの住民の流入が続いており、その経済活動はジャカルタの古い持代の移民共同体の物語に取って代わろうとしている。
以上はJP誌の記事の要点を借用したもので、写真もTempo Duluに借用した。

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