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2006年9月22日 (金)

共産党アレルギーかスハルト擁護か

9月20日、インドネシア検事総長は共産党を壊滅させた1965年のクーデターの評価について新しい解釈を学校の教科書に記載した文部省当局者と歴史家の犯罪調査を始めた。

学童達はスハルト時代の32年間は、当時将軍であったスハルトが1965年9月30日の共産主義者のクーデターを失敗させ、その首謀インドネシア共産党(PKI)そのものを壊滅することに成功したとするキャンペーンで、そう学んで来た。
2004年の新しい解釈のバージョンは、1998年5月のスハルト失脚の後でもあり、あの事件の裏に正確には何が起こったかを確定されねばならないし、今後その論議が行われるべしとしたものであった。
それに伴い、昨年出てきた歴史教科書の著者は、6人のトップの将官が殺され井戸に捨てられたクーデターではPKIの果たした役割を消去っている。
最大百万人の人々が陸軍と反共産主義の市民軍によって PKI とその支援者が大量殺人で粛清されたといわれている。 何人かのスハルト批判家はこの事件は軍の中での権力争いの結果であったと言う。

Bambang Sudibyo 文部大臣は月曜日に政府は今までのカリキュラムを使用しないことに決めた。彼は同時に検事総長に2004年のバージョンに関して歴史家と他の当局者の責任を調査するように依頼した。
検事総長のオフィスの報道官は、歴史教科書の調査は進行中であるが、それは「人々の間の不安」を起こしていると言って、ことを確認した。
2004年のカリキュラムでは1965年の事件をどのグループにも帰することを止めた。そして歴史家はインドネシア人が将来ともいつか確実に何が起きたか知ることはありそうもないと言う。
Juwono Sudarsono 博士、前の文部大臣はスハルトの失脚後の歴史カリキュラムの最初の修正を支持しており、2004年のカリキュラムでPKI を免責してしまって既にあまりにも時間が立っており、この調査には非常に心配だといった。以上ジャカルタポスト

理解するのが難しいニュースである。 2004年の新解釈を破棄することはPKIの首謀とする旧解釈に帰ることを意味するが、これはスハルトの裁判中止と共にスハルト擁護の動きなのであろうか

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