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2006年9月20日 (水)

ダーンモゴットと青年道場

Daan_mogot_001
元士官学校が婦女子刑務所に 9月20日
ジャカルタとタンゲランをつなぐ幹線は高速が出来る前はダーンモゴット通りしかなかったが、この通りはジャボタベク地区で一番長い通りである。昔はでこぼこの砂煙の道であったが今はかなり拡張され途中長い陸橋もあるので、日曜日は快適とも言えるが平日はやはり渋滞が大変である。大昔にこの通り沿いに何か軍の施設があるなと記憶に残っていたのであるが、あるときこのダーンモゴットと言う人の事跡を読み、ふと思い当る節があった。
ダーンモゴットと言う人はこの通りの名前ほど知られていないが、インドネシア国軍の最初の士官学校を作った人である。
1942年日本軍が上陸したとき、一人バンドンのオランダ軍司令官本部にオランダの降伏を勧告するため乗り込んだことで有名な柳川中尉が1943年にタンゲラン青年道場を開き、インドネシア青年を訓練した。
青年道場で訓縁を受けたダーンモゴット少佐は1945年11月この青年道場の跡地に士官学校を作り初代の校長となったが、46年1月セルポンの日本軍の弾薬庫に弾薬譲り渡し交渉に行き撃たれて死亡している。
昔の記憶していた場所こそがその士官学校に違いないと思われ、先日日曜日にそこを探しに出かけた所、ダーンモゴット通りのタンゲラン寄りの所に大きな前庭を持つ古い大きな校舎風の建物を探し出すことが出来た。今では何と婦女子専用刑務所のようである。
看板が出ていたので電話で確認したところおぼろげながらも日本の名前が出たのでそうに違いないと確信する。但し校舎とかはその時のものではないと思われるが。。
序に現在の施設の名前をフルネームで書くとPusat Kegiatan Belajar Masyarakat BKBM) “Anggrek” (Daan Mogot No.28C 5523441)とあと、Lembaga Permasyarakataan Anak dan Wanitaと出ていた。現代では刑務所なる言葉はご法度で社会復帰訓練所と言う意味のLPKを使わなければならない。念の為。

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