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2006年10月27日 (金)

Panglima Polim通りは人物名

ブロッグMとコスモやマッサージがあるウイジャヤセンターを結ぶ道路がPanglima Polim通りである。この間の東側の主として住宅地の縦や横の道も同じPanglima PolimであるがNo.が付いておりNo.1からNo.15まである。パンリマポリムと読むこの通りはPanglimaが司令官と言う意味であることを昔辞書で知って、それ以来普通名詞だと思っていたが、インドネシア英雄列伝に名前を発見し以下のようなアチェの英雄であることを知った。
Panglima Polim(1891年~1941年)の正式名はTeuke Panglima Polim Seri Muda Perkasa Daud、アチェ生まれのスルタンの皇子。アチェ戦争の最後の段階で部隊を率い活躍したが1903年アチェ軍司令の女傑チュッ・ニャ・ディンと共に捕らえられ牢獄に繋がれた。彼は独立闘争の英雄(Pahlawan Perjuangan Kemerdekaan)として叙せられた。
アチェ戦争は1873年から侵攻するオランダとの戦いとして始まったが束の間の勝利も74年の再侵略で王宮を奪われながら80年台になるとイスラム指導者チックディティロが聖戦を叫び第二次アチェ戦争に突入、テウクウマールなど新興領主層も立ち上がりゲリラ戦を続けた。積極展開するオランダに1903年に一時降伏したが最終終了は1912年であった。

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