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2006年10月29日 (日)

毎日通るSi SingamangarajaXII通り

スディルマン通りからブロックMに向かう道は毎日のように使うが道の名前を知っている人はすくないのではなかろういか 知っていても奇妙な名前で意味は知らないだろうがこれはバタック王と言われた英雄の名前である。この通りで大きな建物は検察庁であるがこの住所はHasanuddinであり、Plaza Blok-M はBalungan、Hotel Losariは既にPanglima Polimとなる。ASEAN事務局とAl-Azharが辛うじてSi singamangarajaである。
Si Singamangaraja 12世は北スマトラ タパヌリ・バカラの王でありイマムでもある。バタックを率いオランダと30年に及ぶ抵抗戦を展開した。
19世紀中葉過ぎはパドリ戦争でスマトラはアチェとバタックを残してオランダに征服されていた。アチェ戦争が起こるやオランダはバタックの土地に部隊を派遣してきたので若干19歳でタパヌリの王であったシンガマンガラジャは1976年バタックの各地の王を糾合しアチェのスルタンとの共同戦線に立ち上がった。1878-82年代は優勢に保ったが、オランダの派遣軍強化で彼は身を隠すことにした。
1883年クラカタウの大爆発で空は掻き曇っていた。オランダは彼に2,000グルデンの懸賞金をかけたがバタック人でオランダに走るものは居なかった。1903年のアチェ戦争に勝利したオランダはバタビアから更に軍を増強、王妃や皇太后、小さな王子たちを逮捕した。
1907年になってオランダはシンガマンガラジャの居所を突き止め、シンガマンガラジャは最後の血の一滴まで戦う戦闘の中戦死した、皇子二人も従い、皇女を膝に乗せての戦死であった。このバタックに勝利してオランダは初めてインドネシアの全土を占領できたことになる。
彼の30年の長期に渉る抵抗の戦いで彼は独立闘争の英雄(Pahlawan Perjuangan Kemerdekaan)に叙せられた。

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