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2006年11月 4日 (土)

Fatmawati(1923年 ~1980年)

10月27日のブログのパンリマ ポリム通りを環状高速線まで下っていくのがFatmawati通りである。その先のチランダク地区にFatmawati病院があり、又その裏に通称病院裏と言う初心者向けゴルフ場がある。Cilandak Golf Clubで、昔、軍の爆薬庫が爆発したとき大きな爆弾が着弾してコースに大穴を開けたこともある。このFatmawatiはスカルノ大統領の第一夫人で、1938年にスカルノがベンクルーに流刑となったときにファトマワティとめぐり合い1943年に結婚したものである。独立宣言の紅白旗を手編みした逸話が残っているがこの独立期の大統領夫人で国母(Ibu Negara)と敬称される。
子供は5人、第5代大統領のMegawati Sukarnoputri(長女)を筆頭に Guntur(長男)、 Rachmawati(次女)、Sukmawati(三女)、Guruh (次男)の5人を設けた。
1954年スカルノの第2夫人とのいざこざから宮殿を去ることになったがスカルノの死後の1974年の宗教裁判で、スカルノの「正妻」という判決で名誉を回復し、更に1977年には、「独立の功労者」の称号を授与されている。1980年ハジの帰途急死した。
ちなみにスカルノの結婚歴をみると、ファトマワティと結婚した年齢は43歳でありそれ迄に二人ほど居る様である(師チョクロアミノト師の娘とか)が;
第2夫人は:ハルティニ
第3夫人は:ご存知 ラトナ サリ デヴィ(日本名:根本七保子)
第4夫人は:ハルヤティ
第5夫人は:ユリク サングルと続く。

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