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2006年12月29日 (金)

総督ヤン・ピータースゾーン クーンJan Pieterszoon Coenの死

1619年、クーンがモルッカからオランダ艦隊16隻を率いてジャガトラに戻るや英国艦隊を放逐し落城寸前のバタビア城を救った。ジャガトラ市は破壊されバタビア城を明け渡す寸前の守備隊の幹部は処刑された。ここにオランダは最初の占領地を獲得、この町はバタビアと命名された。イギリスとの確執はバンダでの残虐事件(土人800人を逮捕バタビアで処断)や1623年彼の帰国後云い含めた後任の代でのアンボン事件(英人+日本人各10人を処刑)を引き起こした。
その間ジャワのマタラム国は伸張、第3代スルタン・アグンはマドゥラ、スラバヤを取り次に西ジャワを狙い出した頃、1627年クーンは2回目の赴任となった。1628年から1629年、マタラムはバタビアを2度攻撃したが、クーン総督の死守に合い成功しなかった。海上からの艦砲攻撃、食糧の欠乏、コレラの発生でマタラム軍は退却したが、クーン自身もコレラに感染し僅か数時間で死亡した。(若干42歳)コレラの発生は爆薬が尽きたオランダ軍が人糞を詰めて撃った為と憎しみをこめて言い伝えられている。Coen_di_wayang_museum_054
彼の墓碑が今のワヤン博物館にある。

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