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2006年12月27日 (水)

オランダVOC初期のの総督 Both ~ Coen

VOCが設立される前1601年にオランダが派遣した船隻総数は65に及び自由航海時代と言われた。この中に初代総督となるピーテルボットもいた。オランダ船隊同士の競争の弊害を除去する為、全ての会社がVOC(東インド会社)として統合されたが、特にバンダ諸島での土人やイギリスとの対立等諸問題から会社内の各地の商館、船隊、従業員、兵士の指揮命令を統一する為1609年にPieter Bothを初代総督に任じた総督制が始まった。 ボットはアンボイナに赴任しポルトガル・スペインを駆逐し、又ジャガトラの領主と協定を結ぶなど成功したが1613年帰国途中、乗船が難破しマウリチウスの陸に泳ぎ着いたが力尽きて死亡した。
ヤン・ピータースゾーン クーン(Jan Pieterszoon Coen)はオランダのバタビア330年の総督の内で最も偉大とされる総督である。旧総督府宮殿の財務省の前庭にはクーンの銅像が建っていたが日本軍が破壊した。1587年生まれの13歳でローマの商館で見習いを7年、商業と簿記と6ケ国語を習得、後に初代総督となるボットの腹心として1607年東インド(インドネシア)に渡り、1611年に一旦帰国後、1612年に2船の司令官として出発、後に貿易事務総長に任ぜられる。既にジャガトラに商館を得ていたが、ジャガトラの有望性に着目、バンタンからジャガトラに第2代総督ラインストと共に移動するがラインストは到着後その地で没した。1617年第3代総督レアルは英国との対立厳しいモルッカにおり、ジャガトラはクーンに全権を託した。1618年マタラム王国がバンテン王国と結びオランダの商館を破壊の挙にでたがクーンは、これを防衛、更に要塞を改造、1619年ここを拠点とする大決心をしたときに第4代総督に任ぜられた。総督になるや英国商館を焼き払い蘭英の戦端が開かれたのである。
クーンも後に、マタラムとの戦陣に没するが総督というトップが相次いでバタビアの土となっていく様はその前のオランダの無残な北極経由や喜望峰経由の到来の冒険で流した血を思うと植民の重みを感じる。


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