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2007年1月25日 (木)

BatujayaとCibuayaの遺跡

BatujayaとCibuayaは隣り合った地区で独立宣言前夜スカルノが拉致されたカラワンのデンガスデンクロッックからCilincin方向へ流れるチタルム河沿いにある。ここらあたりは青々として水田が何処までも続き遠くに椰子の森が見えるのどかな土地である。この一帯で有名な出土品が二つ発見された。一つはBatujayaの一つの遺跡Candi Blandanganから出てきた3体ほどの仏像が描かれている土像であり、後一つはCibudayaで発見されたVishnu像2体である。
Batujayaの方は1984年に、丁度Cibuayaで調査していたインドネシア大学の学者達にある農夫からの情報から遺跡であることがわかったものである。UIのHasan Djafar教授によるとここは1870年に発見されたトゥグの石碑が描いたタルマネガラ国のコンプレックスで、仏教の神社として使われたようなレンガの造りや土盛り的遺跡が30ケ所5km2に渉ってある。ここは地図の直線目測ではジャカルタの東端チリンチンから25km又ここから海までは20km程度であるので、トゥグの石碑が刻んでいるタルマネガラのプルナワルマン王が二つの河を王宮を経由する11km(22km説あり)の運河でつないだ事跡の現場であるとUIのHasan教授は推定している。又415年に中国の法顕(Fa-Hien)がこの辺りに上陸しバラモン僧を見かけたことを彼の仏国記に記していることから仏教が普及する前はここはヒンドゥ教であったことを意味し、プルナワルマン王の時代は二つの宗教が混在していた時代となる。発見された石像は黒い玄武岩で、この地には無くインドから輸入されたものと見られている。タルマネガラは既に国際貿易国家であった。
尚、BatujayaのTempleはCandi Jiwaとも呼ぶようである。又Cibuayaには3つのヒンドゥテンプルがある。いくつかは公開されているはずであるが殆どは埋め戻されたはずである。10年ほど前に行った時は付近に観光客用の憩いの場所もあった。今回は行けなかったのでデンガスデンクロック付近の水田風景を飾っておく。

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