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2007年1月29日 (月)

Speelmanスペールマン総督もバタビアで没す

昨日出たスペールマン提督は1629年生まれで最初歴史に出てくるのは1660年頃であるので30歳台でVOCの艦隊を預かって、マカッサルのハサヌディン制圧に向かっている。当時のマカッサルはゴア国で領主ハッサン・ウディンはモルッカの暴動を応援しVOCのモルッカ貿易の脅威となっていた為、モルッカ暴動を鎮圧した後スペールマンを送り制圧したものである。そのボンガヤ条約でマカッサルはVOCの保護領となり他の英・葡商館を閉鎖せしめた。ハッサンウディンはこれより先、アルーパラッカの領土を併合しアルーパラッカの祖父と父を殺していたので以降ジャワの戦争でスペールマンの良き味方となった。1674年トルナージャヤが叛旗を翻すやスペールマンはVOC本部の宥和(静観)政策に逆らい、アマンクラット1世と叉其の死後2世と見返り条件をだし応援に出兵した。1978年には彼自身が事務総長となり、会社を動かしパラッカの応援をでて一大攻勢にで幾多の困難お末トルナージャヤを捉えることが出来た。このときの条約ではスマラン割譲とインドラマユの河口を国境とした。1681年総督になったあとバンテン国で内乱が発生、ハジ王の救援依頼に応じその父アゲンを捕らえた。スペールマンはこの1684年バンテンとの条約で貿易独占権を得たが彼自身は調印幾ばくもなく没した。こうしてみるとオランダの植民領土獲得に彼の果たした功績は大きい。艦隊司令官から事務総長になり総督に出世するコースはクーンと同じでVOCの初期のパターンである。

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