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2007年1月29日 (月)

タクTack少佐VOCのエリート隊長

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タク少佐の墓名碑がプラサスティ公園にあるというので見に行ってきた。彼はマタラムとバンテンの戦乱に次ぐ戦乱の中散ったVOCのエリート軍人である。彼が生きた1649年~1686年はトルナージャヤの反乱、バンテンのサルタンアゲンとの戦闘、スロパティの反乱が相次ぎジャワ島全島が戦火に巻き込まれた。トルノージョヨはマカッサルの海賊の応援も得て一時マタラムの王宮を占領、王冠を手中にしたが、ブギ人の応援のVOCの軍隊に本拠地クディリを落とされ逮捕され逃亡していたマタラム王の剣で刺され死亡した。このときの王冠を取り返したVOCの隊長がタク少佐で王冠をアマンクラット2世に返すとき一寸自分も被って見せた為ジャワ人に忌み嫌われていた。彼の最後はスロパティの反乱の戦闘中にスロパティの兵士が投げた剣で倒れた。この剣はKyai Preredと言う神聖な剣といわれる。彼はオランダバタビア一の商人で息子がJan Van Hoorn総督であるPieter Janszoon Van Hoornの娘を娶り、スペールマン総督・司令官の右腕であったと見られる。このPieter Janse Van Hoornとタク少佐の墓がプラサスティ公園の前庭の塀に埋め込まれている。

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