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2007年2月26日 (月)

スタンシャフリルと対のモハマッドヤミン

スタンシャフリルを通ってタマン・イスマイルマルヅキに行き又戻る道でカナル・グレシックを真ん中にしてスタンシャフリル通りと対峙する道がモハマッド・ヤミン通りでHIのサークルでカナルグレシックと共に消える。カナルグレシックはあの歓迎の塔のサークルの下を通って日本大使館の裏手、からクブンシリ、チデンを通ってコタ・バタビアに行くチデン運河となっている。スタンシャフリルとセットとなったヤミンは同じミナンカバウの同時代の民族運動英雄である。
Moch. Yamin(1903年~1962年)
彼は、西スマトラ出身、ブキティンギの師範学校やボゴールの農業学校でも学んだが性に合わずジョグジャのAMSに転校し最終はオランダ政府奨学金を得てジャカルタの法科学校を卒業。高貴な理想を持ち、インドネシア民族の覚醒と発展を夢見てよく支配政府を攻撃する演説を行った。奨学金は途中で取り消されたものの、卒業後個人で図書館を設立、政治的にはスマトラ青年団に参加し後インドネシアムダを設立した。民族統一の夢は1928年10月28日に発表された「青年の誓いSumpah Pemuda」に結実した。一つの国家、ひとつの民族、一つの言葉のモットーは歴史的転換点となった。独立準備委員会のメンバーとしてパンチャシラ精神の誕生に貢献した。独立後は国民委員会の議員となり、多くの著作を残した。1973年に民族運動の英雄として叙勲した。
ムハマッド ヤミンは詩人でもあり青年の誓いの詩を作ったことでも有名である。
「美しき地の浜辺に座る。波の砕け散る所。。。。気高き水にかこまれてあり。我が生地、その名はインドネシア」

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