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2007年3月 6日 (火)

ついに見つけたMoh.Mansyur

昨年10月14日ブログでMoh.Mansyurの事跡が判らず市の観光局まで行って空振りとなったこともあり、投げやりにMas. Mansyurと同一人物視してしまったが、昨日何気なく見ていたJP誌の新聞切り抜きにMoh.Mansyurの名前を見つけた。それはコタのPekojan、TamboraのMoh. Masyur通りから入った所(Jl.Sawah Lio)にあるAl Mansur Mosqueの話の中である。このモスクは1717年マタラム王国のスルタン・アグンが派遣したウレマのRaden Muchidにより建てられたとされている。時代は下って独立戦争時代にMuchidから第5代のMochamad Mansyurがこのモスクの長で彼は独立闘争の兵士のためにこのモスクを司令部として使用、屋根に紅白旗を掲げたがオランダ軍の銃撃にあった。この銃痕は今もあるとのことである。Mansyurは又NUのバタビア支部長であったが1967年に亡くなり彼の墓はこのモスクにある。これは現在モスクを預かる彼の孫のFatahillah氏の話である。

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