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2007年3月 4日 (日)

パンチャマルガ青年隊(PPM)は今

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ジャティネガラの駅の近くブカシ・チムール・ラヤ通り(No.76)を通るとき左手にめっぽう古い建物が目に入る。1階建ての古代ギリシアの柱を持つ玄関構えを持った建物3棟セットで並んでいる。横の方に字が消えそうな看板があったので写してきた。パンチャマルガ青年隊、東ジャカルタ支部駐屯地とある。その前は国軍0505大隊のものであったと言う。それより前はイギリス軍がバタビアを攻略したときダーンデルス総督軍の司令部だったという説もあり、或いはこの地Meester Cornelisのパンダ出身の知事のものであったとも言われる。確かジャティネガラはバンダ出身のCornelisの所有地だったと言うことでオランダ時代はその人の名前が付けられていた。現在所有権が大隊のものかパンチャマルガのものか不明で市も手が出せないようだ。パンチャマルガ青年隊と言うのはパンチャシラ青年隊と同じような元スハルトの私兵隊だったようで反政府デモを抑える役目を持っており、今ではレバランなどの警防団の仕事を受け持つ自発的団体のようである。
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建物自体が何か使われているかと言うとそうでなく、壁は崩れ屋根は雨漏りもしているところがあり、ホームレスが2人ほど眠っていた。

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