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2007年4月17日 (火)

Abdul Syafi’ieと学生街 

前日のサトリア通りのカサブランカの先のアブドゥラシャフィー通りのAbdul Syafi’ieは、1910年ベタウイのカンプンバリ生まれ、ベタウイのカリスマ的ウラマの一人である。モスクの説教壇で神にインドネシア民族の研鑽の勝利を祈願して、又1967年に設立されたムスリムのラジオ局からジャカルタの人々が待ち望む彼の声がいつも流れた。1973年には他のキアイと共にウラマ協議会を設立。 時のジャカルタ市長の賭博やP4、或いは埋葬に関する政策に対し人民の声を代表して批判、討議した。アリサディキン市長もAs-Syafi'iyah学校やAl-Barkahモスクのリノベーションには彼の助言に従ったという。ジャティワリンギン地区には彼の名前に由来する多くのプサントレンや大学が作られ今学生の街と言われるようになった。彼はインドネシアウラマ協議会(MUI)の設立の一人で副会長を務めた1985年に没した。

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