サトリア通り
アンバサダー・モールは開店当時はガラ空きで隣に又安物のWTCが立ってからは安物衣料などを求める人で前のSatrio通りは毎日渋滞が激しい。この道が東に二つのカサブランカ アパートがあるカサブランカ通りに繋がり更にサハルジョ通りを越えてからAbdul Syafi’ie通りとなりテベットまで伸びる。Satrio通りの名前はアミールシャリフディン内閣以来、保健行政に携わりスカルノ大統領の全盛時代から崩壊にかけて保健大臣を6期務めたたProf. Dr. Satrio(1916年~1986年)である。同じ名前でSatrio Billy Joedonoがいるが彼はスハルト時代に商業大臣で、メガワティ時代は会計検査院(BPK)の長を務めたが未だ健在である。
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