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2007年4月 6日 (金)

男爵ファン・イムホフ総督の墓

3代目総督の墓はワヤン博物館の中にあると昨12月29日に書いたがその写真を撮った背中側にもいくつか墓があり、その一つに第27代ファン・イムホフ男爵(Gustaaf Willem baron van Imhoff 1743年~1750年総督)の墓がある。彼はボゴール(ボイテンゾルフ 無憂荘)を建設したり、チアテル辺りにオランダ人の農園入植を奨励したが度量のない男に見える。
1740年はバタビアは中国人虐殺で血塗られたが、当時参事会の有力議員のイムホフと総督のファルケニールとは以前から確執があり、どちらも責任を取るべき行為があった。ファルケニールはイムホフを本国送還したがイムホフは本国で賢く動き逆にファルケニールに責任を負わせ総督になって戻ってきたイムホフは本帰国中のファルケニールを逮捕しバタビアの獄に繋いだ。1750年イムホフの死をいい気味だと見ていただろうファルケニールも翌年没した。
ファン・イムホフは又マタラムの王家の仲違いにくちばしを入れ、マンクブーミを公衆の面前で譴責した為侮辱を受けたマンクブーミはその夜の内にパクブオノIIに叛旗を翻した。バンテン王国の内紛にも介入し、共に彼の死後、第三次ジャワ継承戦争とバンテンの反乱となって後任総督を苦しめる結果となった。

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