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2007年4月26日 (木)

南マルク共和国(RMS)独立運動と超人サイト 

4月24日のブログに偶々モルッカ諸島の小史を書いてみたが、25日のニュースで又アンボンで爆弾事件が起こったニュースを読んで愕然とした。この爆弾では6人が負傷した程度であったが、専門家は直ぐこれは南マルク共和国(RMS)の分離運動と関連した事件だと断定していたが、よくよく読むと将にブログの24日は1950年4月24日にRMS独立宣言を行った日であった。
この4月より前には3月にも14人の負傷者がでたニュースもあり、少し歴史を遡ると2004年にも独立派と反独立派、クリスチアンとムスリムの対立の銃撃戦があり最大は1999年から2002年に掛けた武力抗争では1万人の死者を出す大抗争があったことが判った。
当然小生はこの時期ジャカルタに滞在していたが、3年間に渉り延々と続くこの事件には性懲りもない宗教がらみの住民対立程度の関心しかなかった。又当時イスラム導師を狙う連続殺人黒装束団のニュースも続いていたと思う。これもどうだったのかいつか整理したいが、マルクの1万人死亡のリポートを見て1万人はいかにも多いと過去のニュースメモから検証してみようと1年間分を書き続けたがなるほど毎月何十人単位での事件が続いていたがどうも3年で1,000人内外しかでない見込みで途中でやめて日本語で「アンボン 爆弾」でGoogleしたところ 早崎隆志氏のサイト「1999年アンボン騒乱レポート」に遭遇し又びっくり、小生がアンボン・爆弾ニュースを拾って纏めようとしたそのレポートが既に成っていたのだ。更に氏のサイトを見ると「超人」という名前で世界史から音楽、天体、地球と将に宇宙規模の情報サイトが作られていた。hppp://www.tcat.ne.jp/~eden/ リンクを張りたいが未だどうしたら張れるか知らない。
それにしても何故スハルト時代に死んでいたRMSが1999年、2004年から又2007年にも復活するのか、分離したメリットはないと思われるがもっと別の意味があるのではないだろうか。全てのインドネシアのテロは1999年からのここアンボンとスラウエシのポソが源のように感じる。

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