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2007年4月30日 (月)

Sultan Iskandar Muda通りは大動脈

最近建ったパクブオノ・レジデンスのあるパクブオノ通りからクバヨランラマに抜けようとする陸橋の下をポンドクインダーに向けて北から流れる通りをSultan Iskandar Muda通りと言うが、運ちゃんなどこの名前を言うことは無くアルテリと言ったようだ。つまりJalan Arteri Pndok-Indahと言うようだ。Arteriと言うのは英語のArterialつまり動脈と言う意味で、それを言うならThamrin-Sudirmanが最大の大動脈かもしれない。この名前はアチェ王国の全盛時代を築いたアチェ王の名前で、イスカンダールと言うのはアレキサンダーのアラビア読みで、ムダは若いであるから若きイスラムのアレキサンダー王と言う意味となる。1593年生まれで1636年没であるので43歳でなくなっているので若いというのは正しい。 ムキムを貴族層(ウレバーラン)に封土する支配体制で最大版図を作り上げた。 アチェ王国は15世紀にアチェ族が創建した王国でイスカンダールムダはその12代。イスラムの貿易拠点であったマラッカがカトリックのポルトガルに占領されたあとアチェはそれに代わるイスラムの貿易港として胡椒貿易で繁栄した。胡椒はマレーの北部も生産地であり、アチェは16世紀から数度に渉りジョホールとマラッカを攻撃している。
イスカンダールムダの時代もジョホール王を捕らえマレーの北部を占領し、マラッカを攻撃したがマラッカには大敗を喫している。

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