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2007年5月11日 (金)

国軍の誕生 BKR-> TKR-> TNI

4月27日のブログでOtto Iskandar Dinataが最初の内閣の内務大臣の時創設された人民治安団BKR(Badan Keamanan Rakyat)は独立宣言後の5日後の8月22日に独立準備委員会で決議されたもので翌日スカルノがラジオ放送で宣言した。日本軍が設置した義勇軍や兵補は19日には解散させられ、これら犠牲者の救援が目的で、まだ国軍と名乗ってはいなかったので多くの若者の心をつかむことが出来ず彼らは全国で30も青年団プムダを結成した。彼らは日本軍の武器の奪取や施設の接収にうごき連合軍の上陸の直前のイカダ広場で20万人にもおよばんとする大会にまで盛り上がっていた。この集会はスカルノ演説で日本軍との対決を免れたが、国軍の必要性を感じた政府は10月5日にBKRをTKR(Tentara Keamanan Rakyat)人民治安軍に編成変えした。10月7日には政府は正式にPETAや元蘭印軍NICA以下全てのプムダの参集を布告した。当初ジャワに10個師団、スマトラに6個師団置かれたがこの編成に当ったのは元蘭印軍で最高位であったウリップ・スモハルジョで彼が参謀総長となった。最高指揮官はマデウンでの日本軍への反乱を指揮したスプリヤディが行方不明のまま任命された。スデイルマン将軍が最高指揮官となったのは11月になってであり、今の国軍TNIと改称されたのは47年6月28日である。
TKRと編成された日、10月5日は国軍創設の記念日となって毎年ジャカルタで祈念式典が行われる。

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