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2007年5月13日 (日)

バタビア芸術センターとバリ文化のブーム

00kunstkring

Boploの斜め後ろ、トゥク・ウマール道路の橋に立つ昔の移民局の建物はバタビア時代はKunst- kringと言われたが今は使用されてないため呼称が難しい。移民局が2000年にKemayoran に移転したあとこのビルの所有権はチェンダナファミリーが握っていた。 ジャカルタ市の保護歴史遺産に指定されているが用途も定まらず、公開されてない所を見ると、今もそうだろう。
建設までの当時のいきさつは1902年、ヨーロッパ文化を懐かしむと同時に現地文化の理解を深めようとする芸術サークルがバタビアで結成され全国にも広がっていった。1916年にはその全国のサークルはバタビアに本拠をおかれた。その施設がKunstkringでBoploの当主である建築家モーエンが設計し、そのままサークルの会長になった。かれはここでバリ文化の紹介事業も行い後に「バリの文化」を著した。モーエンはその後1931年にパリで開かれた国際植民地博覧会でオランダ館をヒンドゥー・バリ文化で飾り、バリの観光の名声を高めることに貢献した。バリとメンテンの恩人でもあり、建築設計家であるので、この建物はインドネシアの建築博物館にしたらどうだろう。パリ植民地博覧会のオランダ館は開会中に火災が起こり展示文化品と共に消失したため、彼のメンツは潰されたようである。 Kunstkring diusulkan dipakai sebagai museum achitektur heritage indonesia

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