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2007年5月19日 (土)

ゴンダンディア通りはR.H.Soroso通り 

メンテンのチック・ディティロ通りのその先は昔ゴンダンディア通りと称していたが今はR.H.Soroso通りとなっている。どの辺りで名前が変わるのかは定かでないが、レストランのロロジョグランはチック・ディティロ通りなのでその先の鉄道橋架手前だろうと思う。
R.H.Sorosoは正式にはRaden Pandji Suroso(1894年~1981年)でシドアルジョ生まれ、地方土木局員、新聞編集長を経て1942年人民参議院議員となる。イスラム同盟や大インドネシア党で活躍した。日本占領時代はジャワ奉公会支部長、州長官を歴任し独立準備委員会委員となる。独立後も中部ジャワ州長官、Bakin長官、50年にはナッシール内閣で労相、後55年まで歴代内閣で人事省、社会省、公共事業省を任じる。(以上シマトゥパン「インドネシアの独立の道」左藤正範氏訳より)
1950年人事相として数万の農園労働者のストライキを鎮めたり、労働紛争解決委員会(P-4) を設置した。1962年、地方分権委員会の委員となり、地方自治法の立案に参加。1966年スカルノ末期の国民協議会でスカルノ大統領の責任を追及した終身大統領としての地位を剥奪することとなる。1972年には初めて、インドネシア公務員住宅(188戸)の建設を行った。1986年国民英雄となる。 スハルト時代に英雄となり、道路名にもなったのであろう。

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