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2007年5月24日 (木)

Van Heutszの占領政策「簡易誓約書」

Teuku Umar、テウクと読むのかトゥクともトゥンクともいうが、この名前の通りはオランダ時代はVan Heutsz Boulevardファン・フューツ大通りと言われた。又この銅像がタマン・チュット・ムティアにあったというがこの人はアチェ戦争に従軍した参謀少佐であった。オランダの各地の領主を攻めるには要塞を軽便鉄道で繋ぐ戦法が取られたが、この戦費は膨大となり、財政を圧迫していたところ、ファン・フューツが妙案を出しこの後大アチェは平和を回復したという。これは簡易誓約書と言うもので断固たる政策を取る代わりに政庁に降伏すればその領地を安堵するというもので、支配に服す誓約書に署名させた。
この誓約書はロンボク、バリがオランダの支配に落ちた後の1920年代には300通に及んだという。この案は現在にも通じる策であることを暗示する。少佐も少なくとも将軍に昇格したはずで、新たに開発されていたメンテンの大通りに彼の名前が付けられたが、独立後はその敵としたTeuk Umarに直された。すなわちアチェ戦争は結局はアチェの勝利であった。

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