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2007年6月29日 (金)

メンテン31の青年たち

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Gedung Joang 45の建物についてはその生い立ちも記したが関連した人々の記述は未だであった。当時の青年隊Pemudaの先鋒はPemuda Menteng 31に代表されるがこのグループは三つの歴史的流れで分けられる。第1期は1942年で宣伝部が塾を創設したときの塾生である。Sukarni、Chairul Saleh、Adam Malik、Ismail Widjaya、Soepeno、Wikana、A.M.Hanafieたちで政治的にAngkatan Baru Indonesiaと呼ばれる。次は1945年7月、Pemuda Angkatan Baruを設立したB.H.Diah、Sjarief Thaeb(オルデバルで教育相)、Sudiro(兄がDKI市長となる)、Harsono Cokroaminoto(チョクロアミノトの次男、後に大臣)Sutomo(Bung Tomo)、Goelton、S.K.Trimurti(後女性大臣)である。第3期は1945年8月14日 Komite Van Aksiを作ったSukarni、Saleh、A.M Hanafie、Adam Malik、Wikana、Pandu Kartawiguna、Marto Nitimiharjo、Kusnaeni、Darwis、Djohar Armunantoである。彼らは闘争組織としてBarisan Bentengを組織した。第一期での先生役はSukarno(政治)、Hatta(経済)、Sunario(国家)、Amir Sjarifuddin(哲学)及び日本語は中谷さん、一般教養は清水さんと言う顔ぶれである。Ashramaのヘッドはスカルノであるが、実質的に運営したのは副のChairul Salehで彼は後、スカルノの後を狙う地位にまで上がったが)9月30日事件で夢は霧消した。 主要な登場人物の胸像は写真のように同博物館の外側にぐるりと立っている。

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