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2007年6月 3日 (日)

ジャカルタ初代市長スウィルヨ 

ジャカルタ人がスティヨソを交替させる月がやって来ようとしている。ジャカルタ市の初代市長はSuwiryoで1945年から1947年までその後1950から1951年2回勤めた。彼が初代になった時はまだ日本軍の占領下の1945年7月でその時は副知事である。 原子爆弾が投下された後8月10日、日本軍降伏のニュースは伏せられていたがSuwiryoは勇敢にもある集会で発表し急遽ブンカルノに独立宣言を迫ることになった。スカルノの私邸であるプガンサアン・チムールで宣言式を執り行う責任を取った一人である。国民党のスウィルヨは青年達の9月17日のイカダ広場での独立達成総決起大会に参加した。このときはジャカルタだけでなくボゴール、ベカシ、カラワンからも多くが参集した。
1946年NICAの軍隊も加わった連合軍の軍隊が上陸したとき、スカルノとハッタはジョグジャカルタに遷都したがスウィルヨはジャカルタに踏みとどまり、国の僕として部下にも日常の職務を継続するよう命じた。1947年7月21日警察行動を取ったときスイルヨはメンテンの自宅でNICAに捕らわれ5ケ月間ガジャ・マダ地区で拘禁、その後スマランからジョグジャに移った。闘争の街でジャカルタ初代市長はトゥグ駅に到着したスディルマン総司令官から大歓迎を受けたものである。1950年3月21日、スカルノ大統領は再度市長に任命し、更にスキマン(マシュミ)内閣のとき副首相(PNI)に任命された。スキマンとスウルヨの名前からSuSu内閣と言われた。以上5月30日のブログに追加する。

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