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2007年6月15日 (金)

チキニ小学校爆弾事件

5月22日のブログのGedung Joang 45/独立闘争博物館に行って見たが薄っぺらなパンフしかなく展示品の筆頭は正副大統領の乗った車だというのが笑わせる。しつこく事務所で尋ねたらVCDがあり25,000ルピアで売ってくれたが未だ開くことが出来ない。
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例の車は裏のガラス張りの車庫に3台展示されている。何故3台なのかと言うと1台は1957年爆弾事故にあったため使用不能となり事件の記念品となった為である。1957年と言えばPERMESTAを代表とする地方の反乱で国内は騒然とした中戒厳令がしかれていた年である。農村は疲弊し共産党の力が抜き出てきており、スカルノが共産党に傾倒していく時代で前年にハッタは辞職し袂をわかっている。
1957年11月30日、メガワティ少女も通っていたチキニ小学校でバザーが行われるというのでスカルノは良きパパ宜しく出かけたとき校舎内で大統領を狙った爆弾が爆発したものである。
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小学生を含む9人が命を落とし55人が重傷を負った。車のブランドはインペリアル、後1台の大統領車Rep-1はビュイックで日本が使っていたものをウンチャンが隠しブンカルノに献上したとある。
イスラム論議で紛争をかもしたナッシール伝によると彼は1956年に国民協議会メンバーとなり西イリアン論議でもスカルノとの仲は冷え切りチキニ事件後は頂点に達したとある。

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