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2007年6月10日 (日)

シマトパンとハッタの家

Deponegoro_55
ポンドック・インダーゴルフから南に下って外環道路にでるがそこからタマンミニに向かう道がT.B.シマトパン道路である。シマトパンはインドネシアの参謀総長であった人で且つインドネシア・キリスト教界の最大の重鎮であった。Tahi Bonar Simatupang(1920年~1992年)は北スマトラのバタック・プロテスタントの家に生まれプマタンシアンタールのオランダ系HIS(小学)、MURO(下級中学)の後、ジャカルタのAMS(上級中学)を卒業しバンドンの蘭印軍陸軍士官学校に進んだ。同級にはナスチオンやカウィラランがいた。日本軍占領時は既に少尉に任官しており、一時逮捕されたが釈放され研究生活などで過ごし、独立宣言の後人民治安軍に参じ組織部長として軍の編成に活躍した。スディルマン将軍の信頼を得て実質参謀長(主席ヒダヤット大佐はスマトラ司令官兼務、ナスチオンはジャワ司令官)である傍らリンガルジャティ協定からハーグ円卓会議まで軍事委員として参加した。主権委譲後は参謀総長となるがスカルノと対立し結果1954年国防法成立で総長職を失い顧問に降格となり1959年39歳中将で退役、以降インドネシアやアジアキリスト教協議会議長及び世界キリスト教協議会理事を務めた。退役後官舎からデポネゴロ通りに居を移したが隣はハッタが住んでいた。

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