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2007年7月 2日 (月)

Raden Salehの一生

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チキニラヤ通りとサレンバを繋ぐオアシス レストランやチキニ ホスピタル前の通りはRaden Saleh通りで彼はインドネシア最大の宮廷画家である。
本名Raden Saleh Syarif Bustamanは1814年、スマランのアラブ系の貴族の家系に生まれ、ベルギーの芸術家A.A.I.Payenによりその才能を見出されオランダへの留学をアレンジして貰った。そこで或いはその後パリで良き教師(1829年からCornelius KrusemanおよびAndries Schelfhout)に付き才能を伸ばし、欧州の宮廷貴族、特にデューク候と知り合い、オランダ、オーストリア、プロイセンの騎士称号も得た。20年も欧州各地、或いは一時北アフリカに居住したあと1852年にはジャカルタに戻ってきてフランス ロマン ネオゴシック スタイルの邸宅を建てた。これが今Raden Saleh通りのチキニホスピタル内に保存されている。このマンションは最初彼の美しい欧州アジア混血の夫人と住むためであった。その後、彼はジョグジャに移りスルタンの従妹と結婚した。更に彼は一時破壊活動の陰謀に巻き込まれた嫌疑でボゴールで隠居させられ、1880年に亡くなっている。
彼の作品で有名なのは「デポネゴロ王子の逮捕」でこれはジャカルタ歴史博物館にコピーが飾ってある。更に「生と死の間」という絵やMerapi_merah_rsaleh
メラピ火山の絵がジャカルタBalai Seni Rupa(芸術セラミック博物館)にある。殆どのオリジナル作品は欧州の貴族の家庭や博物館にあり中でもアムステルダムの宮殿博物館の「Bull Hunting」は有名である。チキニ病院の方は昨年9月29日のブログで紹介している。

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» 「明日の神話」招致に名乗り [羽居のブログ]
岡本太郎作の巨大壁画「明日の神話」写真で見たことしかないけど、 本当にすてきでした [続きを読む]

受信: 2007年7月 2日 (月) 15時48分

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