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2007年8月31日 (金)

日本領事館がムルデカ・バラットにあった時代

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日本大使館は戦後賠償・平和条約が発効した1958年4月15日に大使が派遣されたことになりそれから丁度50年になる。それまでは領事館のみでこれが現在のムルデカ・バラットのRRIの横の国民福祉調整大臣事務所だったそうで、その後はイマムボンジョールに移ったそうである。これも広沢さんの情報で送っていただいた当時の地図に記載がある。そのあと現在のタムリン24番地に大使館ビルが建てられ進出企業も相当収容できていたと聞いているがこのビルは2005年堅牢な要塞ビルに建て替えられた。立替の間はサリパシフイックホテルの前のATDビル(?Menara Thamrin)にいたこともある。どんどんお上が遠くなっていった歴史である。
ムルデカバラットからイマンボンジョールやタムリンに移った経緯はちょっとわからない。
当時の外務委員会で時の藤山国務大臣が次の通り答えているが 尚何処のことやら不明である。「平和条約の批准が終りましたならば大使館を設置して、そうしてそれをやるつもりで、現在あそこで大使館の建築をやっておりますから、そういう時期がすぐくると思います。」(これは条約署名前の話である)

(追記)2017年5月11日ブログhttp://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/uscagarbudaya-2.html参照
蘭印時代日本領事館はクブンシリーの先のFachrudinにあった。

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