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2007年9月16日 (日)

もう一人のCornelis Chastelin

デポックの開発者でもあるコネリス・キャステリンはウェルトフレーデンの開発者でもあった。第3代総督クーンのバタビア開城から30年、或いは欧州の列強の権力争奪の30年戦争から30年(この1648年にオランダは正式にスペインから独立)のころこのウエルトフレーデンは森であったがこの土地の北西部はAnthonij Paviljoenに与えられていた。その後を継いだのが東印度評議会のメンバー、コネリスでかれはバリの王から奴隷を購入しここで米の栽培を行った。米の栽培はバリ人が得意としていたようである。かれは二人のバリ女性に子供を産ませこの二人の娘に遺産を残すことになる。(デポックは別)1703年にはこの地の邸宅で“植民地に付いての考え”という本を著作している。この邸宅がWeltvreden(満足)と呼ばれ後この一帯の呼称となったという。Banten_lapangan
写真はボロブドゥールホテル前のラパンガン・バンテン

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