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2007年9月12日 (水)

Jalan Roa Malakaとポルトガル語

大昔の兼松さんなどが事務所を開いていたジャラン・コピの縦に交差する道にJalan Roa Malakaがある。このRoaと言うのはポルトガル語のRoadであるのでマラッカ道路通りと2重修飾である。またこの地区Kelurahanの名前にもなっている。 マラッカから連れて来たポルトガル人が住んでいたのであろう。ポルトガル人と言ってもマイダイケルスといわれる黒いポルトガル人である。クロンチョンを齎したのも彼らであるがインドネシア語の中にもポルトガル語が多いので驚かされる。例を挙げると、Lemari(Armario カップボード)、Bola(ボール)、Gereja(教会)、Pesta(祭)、Tinta(インク)、Jendera(窓)、Bendela(旗)、Meskipun(Mas que:だけれども)、Nona(Dona女)、Roda(車輪)がある。日本語に入っているポルトガル語も圧倒される:引用しておくとパン、テンプラ、カステラ、金平糖、カルメラ、ピーマン・ココア、ボーボラ(カボチャ)、ボーロ(京都の蕎麦ボーロ)、ビードロ、ボタン、ショール、襦袢、カッパ、更紗、メリヤス、羅紗、ベランダ、ビードロ、カルタ、シャボン、タバコ、コップ、フラスコ、ポント(先に:京都の地名)、カンテラ、ブランコ、チャルメラ、たんと(たくさん)、ジョーロ、オルガン、舟の丸(海)。。。

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