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2007年9月 8日 (土)

Latuharhariと初代州知事

Latuharhary
メンテン地区内部の横の通りには、南端にスルタン・アグン通りがあり、それが添う運河のメンテン内側の線がLatuharhari通りである。この道は昔からエリートのメンテン地区とマンガライを結ぶ道で、又横に沿ってボゴールーデポックータナバンを繋ぐ鉄道が走っている。この2月からはバスウエーの6号線も沿って走りこれはラスナサイドからラグナン動物園まで伸びて居る。
ラトゥハルハリ氏の経歴はJohanes Latuharhari:1900年マルク出身、ハルク島の大部族ラトゥハルハリ家の流れのサパルア島の教師のの家に生まれた。アンボンの“Eerste Europeesche School”で基礎教育を受けたあと1923年バタビアのHBS中等校を卒業、そのあとオランダのライデン大学で法学を学んだ。マルクで最初の“Master in de Rechten”.を取得し1927年に帰国、スラバヤの高等裁判所長官の下で仕事をした。その後は政治活動に入りアンボン同盟の議長を勤めマルクの民衆をインドネシア独立へかき立てた。独立準備委員会委員として1945年の独立宣言の時はスカルノやハッタと共に宣言にこぎつけた。
1945年独立宣言直後の国民委員会(国民協議会・国会に当る)の副議長、初代マルク知事、1950年RMS反乱が鎮圧されたあとマルクの治安回復に努め、後任にあとを託しジャカルタにでてくるが1959 に死亡、国家英雄となっている。奥さんは40年後死亡。7人の子供がいる。
1945年8月の初代の州知事(当初は8省Propinsiとし省長官Gubernurを置いた。又省は州に分割し州長官Residenを置く)は下記の通り。
西部ジャワ(スタルジョ・カルトハディクスモ)
中部ジャワ(スロソ)
東部ジャワ(スルヨ)
スマトラ(トゥク・モハメッド・ハッサン)
ボルネオ(パンゲラン・モハメッド・ノール)
スラウエシ(ラトランギ)
小スンダ(グスティ・ケトット・プジャ)
マルク(ラトゥハルハリ)
尚ジャカルタ市は市長 スウイルヨとしスルタン領は従前の制度を継続した。

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