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2007年9月17日 (月)

チョクロアミノトにもラトゥ・アディル

ウエスタリングが冒涜したジャワの正義の女神ラトゥ・アディルが啓示を受けた人はデポネゴロ王子の他にもう一人いる。イスラム同盟の指導者チョクロアミノトである。このイスラム同盟(サレカットイスラム)は華僑の経済独占に脅威をうけたイスラム商人が1908年バタビア、ボゴールでティルトアディスルヨによって設立されたイスラム商業同盟が更にソロのバテック業者サマンフディンの協力を得てソロに波及、両者はこれらの組織の再統合を企画、チョクロアミノトを指導者と仰ぎ1912年にスラバヤで再組織されたものである。会員証を護符とみる農民層の支持をうけて1919年には会員250万人にも達した。当初は反政府活動の意思のないことを掲げていたが各地での華僑暴動や諸要求貫徹の実力闘争事件を引き起こし、オランダ政庁は弾圧に向かうことになるが、更に19年にスルヨプラノトの労働組合統一連合を受け入れ大きな脅威となる。各地の支部活動がその左翼化とともに共産党躍進の土台となったのではなかろうか。
Jlcokroaminoto
写真は古いものがなくなったチョクロアミノト通り

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