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2007年9月10日 (月)

ジャラン・コピは兼松の故郷

Kopi_51Middelpuint

広沢先輩から教わった兼松の大昔の事務所を写真に収めてきた。Jalan Kopi No.51 と番号は確認されたが建物が果たしてそうかはわからない。隣は中国風店舗のまま残っている。ジャラン・コピとはコタ駅よりも、ファタヒラーよりも北のジャラン・クニールに繋がるカリ・ブサールから出てくる道でカリブサールの真ん中にある橋を基点に西に向かう一方通行の道がジャラン・コピで東に向かうジャラン・クニールも一方通行である。一方通行にしてしまった為かちょっと不便なのかコタ駅周辺がごった返していてもこの辺りは写真の通りである。
更にオランダ時代まで遡ると橋の名前はMidelpunts Brug でジャラン・コピはUtrechtsestraat と言う名前であった。確かクニール側には大きなオランダの商館も残っている。その昔の貿易会社の集まったところであるようだが、伊藤忠は何処だったかは未だわからない。
ジャラン・コピから橋に向かう風景も掲げておこう。

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インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

Jalan Kopi No.51の2階にあった旧兼松のオフィスの写真を掲載して頂き有り難うございます。
ジャラン・コピの風景は40年前とほとんど変わっていません。
この通りの一筋海側の通りの両側は倉庫が連なっていました。
シャッターが閉まっていますが、1階はPT Lima Satuという大家さんのオフィスで、入ってすぐ右手に2階にあがる階段がありました。
当時は日本人駐在員は4人、他は秘書とクラークだけでした。
この事務所からタムリン通りの大使館ビルに移ったのは、1970年前後だったと記憶しています。
それから、送っていただいたJalan Perwiraのプルタミナ(旧シェルのオフィス)、Merdeka Selatanの鉱業エネルギ省(旧スタンバック・ビル)、Merdeka Baratの福祉調整大臣府(旧日本領事館)それぞれの写真についての小文を、私のホームページhttp://www16.plala.or.jp/bouekitousi/に載せましたので、ご一覧頂ければ幸甚です。

投稿: 広沢 勉 | 2007年9月11日 (火) 18時13分

やはりこれでしたか
白い建物ですね 拡大するとドリアンを売っております。
石油関連写真のジャカルタ散策でしたか、見せていただいておりました。紹介有難うございました。

投稿: jakartan | 2007年9月12日 (水) 15時51分

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