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2007年10月 5日 (金)

イソラ宮のD.W. Berrettyの栄光と運命

Bandung_052_2

バンドンのイソラビラのオーナーはD.W. Berrettyという当時の新聞王の別荘であった。ベレッティ氏は1890年当地で教師の子供として出生、中学卒業後郵便会社P.T.Tに就職したが直ぐ新聞社のJawa Bodeに移りまた第一次世界大戦前にアメリカなどに旅行、金はなかったが借金で電報サービス会社を興した。彼はオランダと東インド間のニュースの最速プロバイダーとして成功への道を進む。
彼のニュースエージェンシーの名前はANETAと言う名前で“全てにナンバーワンの意味であった。彼は世界を飛び回りロイターのサー・ロードリック・ジョーンズ会長とも懇意であった。1918年から1932年までに6回結婚している。ここまでが彼の栄光の時代で世界大不況から1932年にはAneta、Bataviaに注力することにし、1933年から1934年にかけて彼の別荘としてイソラビラを建設したがこれが財政的にも命取りになった。
或いはジャーナリストや政治家との折り合いからこの会社を売却する為オランダに向かったが、この旅行の飛行機がクラッシュし彼は44年の生涯を終えた。イソラ・ビラに住んだのは数ケ月であった。
当初のイソラビラは3階建てであるがその後4階が建て増しされている。バンドンの街に良く似たアールデコの建物を発見したのでこれを貼って置く。

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