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2007年10月 7日 (日)

Pasar BaruのToko Kompakは健在 

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パサール・バルーに古い中国の店が健在しているというので先月のある土曜に出かけてみた。クスニアン・ジャカルタのジャラン・ポスト側から橋を渡って入って行くと、確かにそれに見える店が幾つかあるが、カキリマに聞いてその店は直ぐ解かった。
19世紀の終わりに建てられたようでこれが現在もToko Kompakと言う名前でカバンなどの日用品を売っているようであったが、古いだけに店先のカバンも色あせて見えた。一説には200年前とも言われ Mayor(区長程度)の中国人Tioさんが作ったとも言われる。Tio氏はオランダ政庁から中国人の代表として指名された5人のMayorの一人であり、既に8世代を数えるHokkianである。
パッサールバルーは1820年にオープンしており当時市場としてはスネンとタナーバンが既にあり、パッサールバルーは名前の通り新しいショッピングエリアでジャラン・ベテランとジャラン・ジュアンダの金持ちのショッピングエリアであった。当時の建物は全てLanggam Cina形式であったが今はそのかけらもない。唯一の例外がトコ・コンパックである。トコ・コンパックは1993年に他の4つの建物と共に歴史遺産として指定されている。その住所はJl.Pasar Baru No.2、8、30、46で、昔ブログに書いたマタハリはその昔の名前Zohnが今の名前に他の店は2階の一部に昔の名残を残すのみである。

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