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2007年10月28日 (日)

Wahidinとブディ・ウトモ

Stovia
ラパンガン・バンテンと言うと何となくガツガツした感じがするがオランダ時代のウエルトフレーデンやワーテルロープレインと言うとよき時代の印象が生まれる。ここにダーンデルスが建設着手したダーンデスル宮殿、現在の財務省がある。
この財務省の裏手に財務省新館がありこの辺に Dr.Wahidinという道がグヌン・サハリ通りとの間に、あるいは横に繋がってある。 この道の北側がBudi Utomo通りであり、その更に北、つまりポス通りとグヌサハリ通りを繋ぐ道がDr.Sutomo通りで何れも短い通りであるが二人ともインドネシア国民運動の発祥の ブディ・ウトモの創始者である。
このワヒディン通りもストモ通りのあるこの地区は現在行政的にはパッサール・バルー地区(Kel.町)に属する。パッサール・バルーはチリウン川の向こう側とばかり思っていたが。。ここではワヒディン氏を紹介しよう。
Wahidin Sudiro Husodo
1852年ジョグジャ生まれ、民族の自立へ強い信念を持った人であった。インドネシアの  子供達は十分素質があるが経済的困窮で教育を受けられないだけであるとしてジャワ人のための奨学金制度を作った。 ジャワ医師学校(Stoviaの前身)を卒業後ジョクジャで政府の医師として1899年迄働いた。 ジャワ語の「レトノ・ドゥミラッハ」の編集長でもあったが、STOVIAの学生ラデン・ストモやスワジに大きな影響を与え、ブディ・ウトモ結成へ指導した。1917年、ジョグジャでなくなった。政府は1973年国家英雄(Pahlawan Nationalに叙した。写真はストビアの裏から。

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