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2007年12月20日 (木)

ヨハネス・カンプハイス(Camphuis)総督と出島 

J.カンプハイスはトルノージョヨの乱のスペールマン総督の後の平和な時代(1684年~1691年)の総督でかれは出島の商館長として3回、3年(1671年~1675年)赴任滞在した。日本研究の資料も多く集めた日本びいきで、バタビアの総督邸も日本趣味で飾り立てたそうである。貿易伸張のほか学術振興にも力を入れ自身「バタビア史」を著し又部下である有能なケンペルを日本に派遣し彼の有名な「日本史」の出版を援助した。
オランダの日本・出島の商館長は1641年からなんと幕末1860年まで167人もいる。オランダの総督は67名故、日本の方が滞在が短かったことになる。日本の場合は江戸に参勤に出るほかは出島に監禁されたようなもので出入りが許された日本人は丸山のおいらん程度であったというから短くなり或いは何度も来たくなるわけである。

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