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2007年12月17日 (月)

Sam. Ratulangi通りの彼の住宅 

Jikt_nov_028
チョクロアミノト通りの北の 端の三叉路を右に取りCut MutiaのBopuloに向かう道がサムラトランギ通りで、二人でやっと抱けるくらいの太い街路樹が並ぶ落ち着いた旧い道である。11月のある日、この道に何かあるだろうと見当をつけて車を降りて直ぐ、中庭に胸像のある家を見つけた。何か見た顔だと近づいて見ると何とラトゥランギ博士である。5月6日のブログでラトゥランギの伝記は書いたが、広澤さんからコメントを頂いていた。それによると
彼はこの道に住宅を構えていたらしく、ラトランギィ博士と親しい西嶋重忠さんの厳命で広沢氏の親友がサムラトゥランギ通りのラトゥランギ未亡人の家に下宿させられた話が出ている。この胸像がある所がその家なのか一寸確認できなかったが間違いないだろう。左の建物は小さな学校の廃墟で青年が二人座っていた。インドネシアの道路名の英雄とその道の関係は殆どないのが不思議であるがこのラトランギ通りは関係があった。

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