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2008年2月26日 (火)

メナドの紅白事件Peristiwa Merah Putih

Ratulangi052
サトリアマンダラの博物館のジオラマ23号ではメナドの紅白事件と言うものがある。
1946年2月14日に事件である。これとミナハサ出身の英雄ラトランギの関係がわからなかったが、彼はそれ以前に逮捕されイリアンに流されていた。関係といえば密に青年組織に手紙を送り一致団結してインドネシア独立の為に戦うことを教え、又事件の後スラウエシはインドネシアの一部であると国連で供述したことがある。
オランダは1945年12月に至り英豪軍に代わって兵を派遣してきた。46年1月にはSpoor大将が司令官として赴任。2月には豪州軍に代わってメナドにもオランダが上陸してきたが、オランダは1679年のミナハサ-ネーデルランド同盟(Verbond)を頼りに友好を信じていたが青年隊の独立の熱気は燃え上がっていた。オランダ軍を駆逐した青年たちはそのバラックにオランダの国旗を裂き紅白のインドネシア国旗にして掲揚した。現在メナドから45kmのKawangkoaにLAPIAN - TAULU MONUMENTという記念碑がある。Charles Chus Tauluは青年隊の攻撃を指揮しオランダを駆逐したあと地区の治安回復を宣言し又翌日Bernhard Wilhelm Lapianを首班とするスラウエシ市民政府の樹立を宣言した。Lapitanはミナハサ・プロテスタント教会会議を組織したプロテスタントの英雄であるが、どうも中央政府の扱いは冷淡のようである。但しこの民衆・青年の対オランダに闘争が対外的にもインドネシアがサバンからメラウケ迄の統一国家を目指していることを喚起したことは記録されている。
この勝利の後彼らは8,000の兵を持つ日本軍キャンプを支配した。同じ地区に日本軍の洞窟がある。
写真はジャカルタのラトゥランギ氏の朽ち果て行く住宅ある。

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