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2008年2月17日 (日)

オリビア ラッフルズ夫人の墓

Raffles
シンガポール建設の父Sir Stamford Raffles (1781-1826)の夫人の墓のお参りに行った。
中央ジャカルタのプラサスティ墓地公園にある。彼女Olivia Mariamne Rafflesは1771年生まれだから10歳も年上である。若きラッフルズが、秘書官長ラムジー氏の困りものの人と結婚する事でペナン勤務に抜擢されたと噂された、軍医の未亡人であった。結婚しても子供はいないため、同衾しなかった、神聖な愛であったといわれる。ジャカルタに来て4年に満たない1814年にブイテンゾルグで亡くなった。
ブイテンゾルグ宮殿に住むラッフルズはボゴール植物園にその記念碑を建てている。
彼女の父はアイリッシュの一部族に属するがインドでロシアの部族女と結婚したためアイルランドを追放された。彼女は英国で育ったが22歳のとき親族と合流する為インドに渡ったがそのときの船長と公開中に出来たあと到着後東インド会社の軍医と結婚するも軍医は急死した。金に困った彼女は夫の死亡退職金を貰う為会社秘書官事務所に出向きそこで働くラッフルズ書記官と出会う。6ケ月後二人は結婚、ラッフルズは年俸が£70から £1,500に上がっていた。赴任した東インドでは噂にもかかわらずミント総督、詩人のライデン、地元の歴史学者ムンシ・アブドラから賞賛を得、お似合いの夫婦であった。ペナンの山にオリビアの名前も付けられた。1811年ジャワに副総督となったとき夫人はジャワ貴族に対しラッフルズの威厳を与える存在であった。彼女の死後の二番目の妻はソフイアと言いラッフルズ伝記を記したが、彼女についての記述は少なく又詩人ライデンと取り交わした作詞、書簡は破棄されたと見られている。


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